夕学レポート
2026年09月16日
髙津 臣吾氏講演「勝負の世界で人を育てる」
髙津臣吾氏に聴く、「投げて・育てて・負けて・勝つ」のLIFETIME BASEBALL
「いいか後輩、営業マンたるもの、とにかく打席に立つことだ。ストライクゾーンは広く、バットは短く、初球から全力で振っていけ!」
「先輩、マネージャーへの昇格が決まってからというもの、相当気合入ってますね」
「そういう君も我が社のドラフト1位、期待の新人スラッガーだろ?将来のエースで4番として、今から選球眼を磨いておけよ」
「ていうか先輩、そうやって野球用語で仕事を語るのは、今どきのフットボール世代にはキビシイですよ」
「そのサッカーの代表監督も『続投』する、ってニュースで言ってたぞ」
「代表といえば、侍ジャパンが世界一になった試合は見ましたよ。大谷翔平選手と村上宗隆選手、栗山英樹監督が育てた両選手が大活躍でしたよね」
「ちがーう!大谷選手はともかく、村上選手を育てたのは髙津臣吾監督だよ!先日、髙津氏の講演を聴いてきたばかりだから、そのエッセンスをみっちり教えてやろう。ビジネス語りにもしっかり使える、野球人生エピソードの千本ノックだ!」
「はいはい、プレイボール」
「髙津氏は去年まで東京ヤクルトスワローズの一軍監督を務めた人だ。現役生活もスワローズから始まっている。1991年の入団当時、監督はあの野村克也氏だった」
「今では常識となった、データ重視、考える野球の創始者ですね」
「毎日1時間のチームミーティングでは野村イズムが徹底して吹き込まれた。技術的なことだけでなく、『人生とは』『組織とは』そして『監督業とは』なんて話もあったらしい。人生であれほど勉強になった授業はない、と髙津氏は絶賛していたよ」
「入社早々、上司に恵まれたんだなあ」
「野村監督の指示で取り組んだ新球種シンカーを武器に、抑えの切り札としてスワローズの黄金時代に貢献。チームは2001年までに4度の日本一に輝いたが、胴上げ投手は4回とも髙津氏だった」
「9イニング中、リリーフエースの担当は最後の1回くらい。それで胴上げ独占とかズルくないですか?」
「髙津氏も、『自分の仕事は夜9時開始で、頑張れば10分くらいで終わる(笑)』と言って会場を沸かせていたけど、夜毎、勝負のかかった最後の場面でチームの全てを背負って投げる重圧は並大抵のものじゃないと思うよ。勝利の瞬間をマウンドで味わう特権は、時に喫する敗北の苦味と表裏一体。経験、とりわけ失敗の経験がメンタルを強くすると髙津氏は力説していたけど、つまりは自身もそんな経験をたくさんしてきたということ」
「修羅場の数だけ人は育つ、ということですね」
「日本で活躍した後は海外へ、というのが今のトレンドですが」
「髙津氏もFA権を行使してメジャーリーグへ挑戦した。2004年はシカゴ・ホワイトソックスでクローザーとして大活躍。だが2年目は振るわず、2006年にスワローズに復帰。しかしケガで十分活躍できないまま、翌シーズン終了直後に戦力外通告を受けた。38歳の時だ」
「エースにもいつかその時は来る…」
「問題はタイミング。チームに多大な貢献をしてきた大ベテランに、普通なら引退試合などが設定されるところ、敢えての最終戦後の通告。球団の、この敬意を欠いた処遇に、逆に髙津氏は『絶対に現役をやめない!』と決意したそうだ」
「男の意地!」
「でも現実は厳しい。国内に移籍先は見つからず、翌年から米国マイナーリーグ、韓国、台湾の野球界を転々とすることになる。韓国も台湾も野球環境は日本より貧弱。オファーが来ても『さすがに行かないよ』と思ったそうだ。でも行ってみると、プレーできる喜びは何にも勝り、翌年もそこでプレーしたいと思った、というのが高津氏らしい」
「海外での順応力も高いんですね」
「42歳で帰国し、2011年、独立リーグの新潟アルビレックスに所属。入団の決め手は『好きなだけ現役を続けてください』と言われたことだそうだ。でも、いざ新潟に行くと、周囲は親子ほども歳の離れた若い選手ばかり。翌年は選手兼任監督に就任するも、将来を夢見て挑戦を続ける彼らの姿に、実際には監督としての役割に専念した」
「育成への責任感が、自らの現役生活に区切りをつけることになったんですね」
「2014年、古巣スワローズに一軍コーチとして復帰。球団の誠実な懇請に、過去のわだかまりを捨て、指導者の道を歩み始めた」
「追われた組織に請われて戻る。カッコいい!」
「しかし初めてのコーチ業は困惑ばかりだったそうだ。自分が結果を出せばよかった現役時代と違い、コーチは選手に結果を出させるのが仕事。どう言えば伝わるのか、どうすれば相手を動かせるのか、同僚コーチに教わりながら勉強の日々だったという」
「名投手でも、言葉を思い通りに投げるのは難しい…」
「2017年には二軍監督に就任。この年以降、髙津氏は夜に熟睡できなくなったという。二軍は一軍と違いデーゲーム中心の朝方生活だから、と思っていたら、後に一軍監督になり夜型生活に戻っても睡眠は元に戻らなかった。二軍とはいえ、『監督』という立場が自分から安眠を奪った、と髙津氏は分析しているよ」
「10分間のマウンドと違い、24時間365日続く監督業。その重圧感が伝わってきます」
「やっと最初の話につながるけど、二軍監督としての髙津氏の最大の功績は、村上宗隆選手を育てたことだろうね。ドラフト1位の高卒新人を1年間、調子の良い時も悪い時も二軍の4番に据えて使い続けたが、これは帝王学のようなもの。その期待に応え、村上選手は翌年から一軍の4番となり、今や日本を代表するバッターの一人に成長した。今年からメジャーリーグで活躍しているが、移籍先が同じシカゴ・ホワイトソックスだったのは、髙津氏にとっても嬉しい偶然だったようだ」
「やはり、修羅場の数だけ人は育つ。経験に裏打ちされた育成哲学の正しさが証明されました」
「三年間の二軍監督を経て、2020年、髙津氏はついに一軍監督に就任する。コロナ禍の初年度こそ最下位に甘んじたが、翌年には日本一。今度は監督として、5度目の胴上げを経験した」
「二軍監督の経験が一軍でも生きたんでしょうか」
「いや、同じ監督でも、一軍と二軍では役割が全然違うそうだ。一軍は勝つことがすべて。一方、二軍は育てることが大事。育てるためには負けることもある」
「そういう二軍で『四番・村上』は鍛えられたんですね」
「逆に一軍監督は、不調のベテランを二軍に落とすこともある立場。そんな時こそ、伝え方には人一倍気を遣うそうだ。いつかまた一軍で活躍してほしい、そのための二軍行きだ、と期待を込めて直接言う」
「確かに、上司の一言で、部下のモチベーションは爆上がりも爆下がりもしますね」
「監督として一番大事な資質は?と問われて、髙津氏は『判断力と決断力』と答えた。理由の一つが『早く正しく決断しないと、そのあとコーチやスタッフが動くための時間を奪ってしまう』こと」
「後工程の部下のことをちゃんと考えてくれている」
「では、チーム運営でいちばん大切なものは?と訊かれて、髙津氏は何と答えたと思う?」
「何でしょう?」
「それは『バランス』。投打の戦力バランス、勝利と育成のバランス、そして若手とベテランの世代間バランス。いくら『四番・村上』を育てても、それだけでは勝ち続けられない。若手とベテランが刺激し合い、健全な競争の中で技能や経験が伝承されていく、そういうチームはいつまでも強い」
「なるほど」
「そして、変えることと変えないことのバランス。その前提として、変えるべきものと守るべきものの判断が適切でブレないこと。もちろん、その正しい判断は監督の責務の一つだ」
「なんだか髙津さんは『理想の上司』って感じですね。グラウンド外の野球人生も含めて、ビジネスマンとして大いに参考になりました」
「おお、わかってくれたか、我が社の『四番・村上』くん!」
「はい、海外でも社外でも通用する人材を目指して頑張ります!」
「ん?それって、転職という名のFA宣言?」
「ところで先輩、野球の『監督』は英語では『マネージャー』ですね。先輩もマネージャーに昇格したら、夜も眠れないくらい、24時間365日戦わないと」
「おいおい、昭和の栄養ドリンクのCMみたいなこと言うなよ。それこそ不眠になりそう」
「大丈夫です、令和には『ストレス緩和・睡眠の質向上』を謳うあの飲料がありますから、たっぷり飲んで頑張ってください」
「『ヤクルト1000』本ノック、ってことか。バッチコーイ」
「先輩、野球用語もそこまで来ると、さすがにゲームセットです」
(白澤健志)
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髙津 臣吾(たかつ・しんご)

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- 前 東京ヤクルトスワローズ監督
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1968年広島県生まれ。広島工業高校卒業後、亜細亜大学に進学。1990年ドラフト3位でヤクルトスワローズに入団。1993年ストッパーに転向し、チームの日本一に貢献。その後、4度の最優秀救援投手に輝く。2004年MLBシカゴ・ホワイトソックスへ移籍、クローザーとして活躍。開幕から24試合連続無失点を続け、「ミスターゼロ」のニックネームでファンを熱狂させた。日本プロ野球(NPB)、メジャーリーグ(MLB)、韓国プロ野球、台湾プロ野球を経験した初の日本人選手。独立リーグ・新潟アルビレックスBCと契約、2012年には選手兼任監督としてチームを日本一に導く。同年、現役を引退。2014年に古巣である東京ヤクルトスワローズ一軍投手コーチに就任。2015年セ・リーグ優勝。2017年より二軍監督、2020年より一軍監督。2021年セ・リーグ優勝、20年ぶりの日本一に。2025年監督を退任。2022年野球殿堂入り。NPB歴代2位の通算286セーブ、史上2人目となるNPB/MLB通算300セーブを記録している。
2026年からは野球解説者、野球評論家、韓国・ロッテ・ジャイアンツのスペシャルアドバイザーとして活動。<受賞歴>
・最優秀救援投手(1994年、1999年、2001年、2003年)
・日本シリーズ優秀選手賞(1993年、1995年)
・セリーグ会長特別賞(2003年)
・正力松太郎賞受賞(東京ヤクルトスワローズ監督 2021年、2022年) - 髙津臣吾Instagram
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