夕学レポート
2009年09月15日
第12回 11/27(金) 南直哉さん
第12回 11/27(金)の講師は、福井の霊泉寺住職、青森の恐山院代の南直哉さんです。
サラリーマン生活を経て出家し、永平寺で20年以上の修業を積んだという南さん。いま注目の宗教家の一人だと言われています。
私は、ある方に教えていただいて、5月に南さんの講話を聞きにいきました。
写真を拝見すると、袈裟をブラックスーツに着替えれば、その筋の人も避けて通るのではないかという強面の南さんですが、宗教家として生涯をかけて向き合っているテーマが「生きることの苦しさ」であるとお話になりました。
宗教家として一番必要な素養は何かと問われれば、「不安のセンス」である、と最近のブログに書いていらっしゃいます。
大事なのは、自分が生きていること、存在していることに対する、抜きがたい不安です。どうして自分はこうなのだろう、このままでいいのだろうか。なぜここにいるのか、どこから来てどこへ行くのか。そういう問いが自分を底の方から揺るがしていることです。どうしても知りたいこの問いに答えられない切なさです。答える能力を「持っている」ことでなく、「持たない」ことなのです。いわば、この「不安のセンス」が、宗教家の資質として最も大切だと、私は思っています。それは、ある意味、「無明」や「原罪」などという言葉に極めて敏感に反応するセンスでしょう。
南さんの説く宗教は、「癒し」でも「救い」でもありません。むしろ「不安」や「苦しみ」です。
答えの出ない問いであることを知りながら、一生をかけて問いつづけるという「たたかいの仏教」かもしれません。
今回の講演タイトルもズバリ「私という困難」
南さんが幼い頃から感じてきた「生きにくさ」「生きづらさ」を皆さんと一緒に考えてみたいとおっしゃっています。
お申込はこちらから
http://www.sekigaku.net/index.htm
登録
人気の夕学講演紹介
2025年1月16日(木)18:30-20:30
客観性に閉じ込められる私たち
村上 靖彦
大阪大学人間科学研究科 教授
感染症総合教育研究拠点CiDER 兼任教員
客観性とは何なのでしょうか?エビデンス信仰の風潮が強まる昨今、見落としているものを『客観性の落とし穴』の著者・村上氏に学びます。
人気の夕学講演紹介
2025年1月24日(金)18:30-20:30
教養としての仏教:苦しみをどう超えるのか
柳 幹康
東京大学東洋文化研究所 准教授
家庭の仏壇や供養の儀式、あるいは観光旅行での古寺巡礼など、仏教は比較的身近な存在でありつつ、知っているようで知らない奥の深さもあります。仏教学の専門家より教養としての仏教を学びます。
いつでも
どこでも
何度でも
お申し込みから7日間無料
夕学講演会のアーカイブ映像を中心としたウェブ学習サービスです。全コンテンツがオンデマンドで視聴可能です。
登録