KEIO MCC

慶應丸の内シティキャンパス慶應MCCは慶應義塾の社会人教育機関です

夕学レポート

2010年07月12日

第四回 「ハイエク、フリードマンが考えた自由な経済」その2

ミルトン・フリードマンは、ハイエクと同様に「自由な経済」を主張しました。
ハイエクが経済学者から社会哲学領域へとスタンスを変えていったのに対して、フリードマンは、具体的な政策提言や論争を繰り広げたことで知られています。
二人とも、自由主義を標榜する「シカゴ学派」に分類されていますが、先述のようにハイエクは、人間の合理性の限界を認識して「懐疑主義」を貫きました。一方で、フリードマンは、極めて合理性を重視する立場を通し、「期待インフレ率」の考え方やそれを突き詰めた「合理的期待形成理論」という理論を構築しました。
フリードマンの考え方は、1962年の『資本主義と自由』という本を読むとよくわかります。
自由とは、自由放任ではない。むしろ積極的な政策によってはじめて実現する。
フリードマンはそう考え、自らを「急進的自由主義者」と呼びました。
竹中先生は、ハイエクは総論を語り、フリードマンは各論を語ったといいます。


◆フリードマンの生きた時代
ミルトン・フリードマンは、1912年ハンガリー系ユダヤ移民の子供として米国に生まれました。エリートとして生まれ育ったケインズとは対称的な家柄と言えます。
「移民の子にとって、政府は遠い存在であったに違いない。遠くから冷静に政府を見つめ、政府というものの“うさん臭さ”を生来的に感じ取っていたのかもしれない」
竹中先生は、そう分析をしてくれました。
彼は、シカゴ大学で学び、やがて「シカゴ学派」の中心人物となっていきます。
きわめて好戦的で、頭の回転が早く、弁が立ち、論争に強い経済学者としてその名を知られたといいます。
彼がシカゴ大学で、自由経済の論者として活躍した1970年代は、世界中がスタグフレーション(後述)に悩み、ケインズ政策の限界が露呈した時代でした。
当初異端児と言われていたフリードマン理論は、この時代背景を受けて主流派となり、80年代のサッチャーリズム、レーガノミクス、中曽根民活論といった政策の理論的な支柱として脚光を浴びていきます。
また、フリードマンは、マネーの役割を重視し、後に「マネタリスト」と呼ばれるようになります。
◆フリードマンの直面した課題
<スタグフレーションへの対応>
1960年代~1970年代の米国の消費者物価指数(CPI)と国内総生産(GDP)の推移を見てみると、次のようになります。
CPI:1.3%(60年代前半)→4.3%(60年代後半)→6.8%(70年代前半)→8.7%(70年代前半)。GDP:4.6%(60年代前半)→3.0%(60年代後半)→2.3%(70年代前半)→3.4%(70年代前半)。
物価は継続的に上がる一方で、GDPは緩やかに減少していく。この現象をスタグフレーションといいます。
米国を代表に、当時の世界が悩んでいたスタグフレーションが、なぜ起きるのかという問題について、フリードマンは、1974年自身のノーベル賞の受賞記念講演で、「期待インフレ率」の概念を使って、スタグフレーションメカニズムを、見事に解説をしたと言われます。
景気が拡大し、消費が高まり、失業率が減少すると、一方で人々は「この先はきっとインフレになる」という期待=期待インフレの予想を高めていく。結果的に賃金は上昇していき、物価も値上がりする。これがGDPを押し下げる働きをして、景気は沈滞してしまう。
ケインズ政策で景気を刺激しても、「期待インフレ率」の上昇により、需要曲線そのものが上方に移行し、景気刺激効果を抑制してしまう。
これが、フリードマンの指摘したスタグフレーションのメカニズムでした。
このメカニズムは、物価上昇率と失業率の関係を示す「フィリップス曲線」を使っても説明できるといいます。
「フィリップス曲線」の考え方では、物価上昇率と失業率はトレードオフの関係にあるので、物価上昇率を操作することで失業率をコントロールできると考えられていますが、フリードマンは、フィリップス曲線は長期的には一定の失業率に落ち着くと理論づけ、「自然失業率」という概念を提唱しました。
物価が上昇しても、失業率は高止まりしたままで、曲線は垂直になってしまう。これがスタグフレーションだとしました。
◆フリードマンが主張したこと
スタグフレーションのメカニズムを解明したフリードマンは、どのような政策を主張したのか。それは徹底した規制緩和、小さな政府論でした。自由な経済システムに任せて、政府は余計なことをやるべきではないというものでした。
しかし先述のように、それは自由放任ではなく、明確な意思をもった積極な自由主義、攻めの自由主義提案と呼べるものだと竹中先生はいいます。
その代表的なものとして、ふたつの具体的提言を紹介してくれました。
教育バウチャー
かつて、竹中さんも実現を目指して働きかけましたが、実現できなかったものです。
教育バウチャーは、子弟の教育に関わる費用を国がチケットを給付することで支援しようという考え方です。最も公共的な政策が強い政策といわれる「教育」についても、民間の競争的なメカニズムを導入することで、その内容の充実と運営コストの効率化が出来るとフリードマンは主張しました。
負の所得税
現行の所得税は、ある一定水準の所得に満たない人からは、税を徴収していません。フリードマンは、更に突き詰めて、所得水準の低い人には、現金は給付する方法を主張しました。現状は所得水準の低い人には、公的機関の裁量判断による一定額の手当が支給をされていますが、政府の関与を嫌うフリードマンは、裁量余地のある(つまりは誤りを犯す余地が大きい)手当ではなく、所得金額毎に給付する金額を変えるルールを設定して、そのルールに則って機械的に給付すべきだと考えました。
「負の所得税」は、いくつかの国で実施されており、民主党内でも議論がなされているとのことです。
マネタリストという立場
フリードマンを言い表す際に、最も特徴的なものとして言われるのが「マネタリスト」という表現です。
彼のマネタリストとしての立場は、世界大恐慌時のケインズ政策との関連部分に象徴的に表れています。
世界大恐慌は、株式の暴落による混乱が、実体経済を萎縮させたというのが通説の理解ですが、フリードマンは、「大恐慌は金融政策の失敗であった」と結論づけています。
景気が劇的に悪化していくのは、株の大暴落の2年~3年後であり、その原因となったのは、初期対応として必要な十分な金融緩和政策を、政府が実施しなかったことにあるというものです。
なぜ、政府が失敗したのか。それは、政府、中央銀行の一部の政策決定権者の裁量判断にすべて委ねていたからだ。政府の失敗は起こるべくして起きたとフリードマンは主張しました。
では、どうすればよいか。
フリードマンは、裁量判断からルール化への移行を説きました。ひと握りの人々の裁量ではなく、あらかじめ決められたルールに則って通貨供給量を増減させるようする「k%ルール」という金融政策運用制度を提唱しました。
フリードマンの主張するルールだけで十分かどうかは、意見が分かれるところです。
しかし、竹中先生は、政府の失敗は日本でも何度も起きてきたことも事実だといいます。
バブル崩壊の原因となったのも、バブルの後遺症があそこまで長引いたのも、政府の金融政策判断に誤りがあったと...。
フリードマンの指摘は示唆に富むものかもしれません。
◆ブキャナンの「公共選択論」
最後に、ケインズ政策の問題点の3つめである「財政赤字の増大」の危険性について指摘したブキャナンについても簡単ですが触れていいただきました。
ハイエク、フリードマンと同様にノーベル経済学賞を受賞したJ.M.ブキャナンは、経済学と政治学では、前提となる人間行動原理が異なっているという問題を指摘しました。
ブキャナンは次のように主張したそうです。
経済学では、アダム・スミス以来、人間は自己の利益を最大化しようとする「利己的な存在」であることを前提としてきた。一方で、政治学においては、政策決定、政治判断には「公共心」が不可欠であると説いている。
利己主義と公共心。人間行動の結果として起きる社会システムでる点は同じなのに、経済と政治で、人間行動の原理が、まったく違う。
ブキャナンは、二元論を排して、「人間行動一元論」にもとづいて、経済と政治を論じる「公共選択論」を主張しました。
代表的な著書『赤字財政の経済学』(1977年)には、民主主義制度のもとでは、財政赤字が宿命的に発生するというメカニズムが解説されているそうです。
選挙民から選ばれた政治家は、利己主義的行動の結果として、選挙民への利益還元となる公共事業を選択するだろう。また、選挙民の不利益につながる増税策は回避しようとするだろう。その結果として、当然ながら財政赤字は増大していく。
ブキャナンは、そう解説しました。
そして、財政赤字の増大を防ぐためには、「財政均衡のルール化」が必要であることを提唱しました。
政治家の「公共心」に訴えて(信じて)裁量的な政治判断を期待するのではなく、あらかじめ、財政赤字に歯止めを掛けるためのルールを決め、それに従うことを主張しました。
今回の消費税論議を思い浮かべると、ブキャナンの指摘の鋭さに感服せざるをえません。

メルマガ
登録

メルマガ
登録