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夕学レポート

2011年02月09日

阿刀田高さんと読み解く【旧約・新約聖書とキリスト教】その3

「イエス・キリスト 最後の12時間」
ショッキングなキャッチとリアルな拷問描写で話題になった『パッション』(主演メル・ギブソン)の公開は記憶に新しいところです。
あまりに悲惨なキリスト拷問の映像に心臓発作を起こした観客もいたと言われました。
パッション.jpgのサムネール画像
この映画が扱う「イエス 最後の12時間」、ユダヤの神を冒涜したとして十字架刑の判決を下されたイエスが、激しく鞭打たれた末ゴルゴダの丘で磔刑に処せられる場面と、それに続く復活劇は、『新約聖書』最大のクライマックスです。
イエス・キリストは、すべての人々を許し、すべての人々の罪を背負って死んでいきます。そして預言通りに3日後に復活をします。
これをもって「キリスト=神の子論は完結した」
阿刀田さんは、そう喝破します。
『新約聖書』が書かれたのは、AD50年頃から150年頃にかけて。イエスの弟子や孫弟子、曾孫弟子の手によって書き綴られていきました。
この頃、ユダヤ民族は苦難の時代を迎えていました。
AD70年に最後の籠城地マサダが陥落し、イスラエルはローマ帝国の支配下に零落します。
『旧約聖書』に記された「救世主」が現れ我々を救済してくれるはずだ。
そんな願望が、多くの人々の意識中に渦巻いていました。
この中で、イエス・キリストは生まれ、『新約聖書』の世界が展開されたのです。
『新約聖書』は、社会変革家イエス・キリストの伝記として読める。
これが阿刀田さんの解釈です。
『新約聖書』は、四つの福音書(マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネ)、12人の使徒言行録、ヨハネの黙示録の三部によって構成されています。
四つの福音書は、有名な「受胎告知」から始まってイエスの生涯を記述するもので、いわば『新約聖書』の教義部分と言えるそうです。
使徒言行録は、ペテロ、パウロを中心にした弟子達のキリスト教布教・伝道の記録にあたります。
黙示録は、神が考える(と思われる)死語の世界の小説風表現であり、キリスト教の終末観を表しているそうです。
阿刀田さんは、『旧約聖書』同様に、阿刀田流『新約聖書』論を展開し、社会変革家イエスの生涯と、彼は如何にして神の子になったのか、持論をお話しされました。
「受胎告知」と言えば聞こえはよいけれど、父母(ヨセフとマリア)による男女の交わりを経ずして生を受けたという意味では、なんらかの事情のもとに生まれた「庶子」ともいえる。
その影響か、若くして家を出たイエスは20年近い空白の時間を経て、30歳を過ぎて突如ガリラヤ湖に姿を現す。
この間、彼は当時各地にあったユダヤ教の密教的集団に属していたのではなかったか。その後の「奇跡」遍歴の記述を丹念に読むと、そういう推測が成り立つ。

という大胆な説です。
『砂の器』を彷彿させる推理構成力といえるかもしれません。


イエスの公的期間は、ガリラヤ湖出現からわずか2年間でしかありませんでした。
救世主ヨハネから預言をさずかり、救世主としての道を歩みて以降、数々の「奇跡」を起こし、民衆の信仰を集めると同時にユダヤ教の既成勢力から迫害を受け、冒頭の最後の場面へと続いていきます。
イエスが起こしたとされる「奇跡」は詳述しませんが、水を葡萄酒に変えたり、湖の上を歩いたり、病気の人を治したり...。 Mrマリックやサイババ並みの怪しげ?な活躍を見せます。
信仰を持たない人間からすれば、この非合理性、非科学性がどうにも鼻につくのですが、阿刀田さんは、ここで大人の解釈で、イエスの変容を評してくれました。
イエスの「奇跡」の非合理性を追求することに意味はない。むしろ人々が「奇跡」を信じるほどに偉大な存在であったと認識するのが聖書への正しい向き合い方ではないか。
イエスは、「奇跡」的な偉業を成し遂げることで「救世主」への階段を登り始めた。
ひとつ「奇跡」を積み上げるたび、イエス自身が「自分は救世主ではないか」という確信を深め、次の「奇跡」への自信を深めた。
イエスは、自分が「神の子」であることを信じ、そう行動することによって、「神の子」に成長していった。

それが、阿刀田さんのイエス・キリスト論です。
古今東西、歴史上には多くの「カリスマ」が登場してきました。
彼らの偉業から、宗教と金銭を引き算すれば、「社会変革」が残ります。
いま風にいえば、偉大なる「ソーシャルイノベーター」。それがイエス・キリストだったのではないでしょうか。
自分が救世主であることを確信したイエスにとって、「キリスト=神の子論」を完成させるために、どうしても必要なピースがありました。
それは、すべての人々の罪を背負って磔刑に処せられること。そして「神の子」として輝かしく復活することでした。
piero_pesurrezione00.jpgのサムネール画像
イエスの復活は、イエスの意志を読み取った人々(例えばアリマタヤのヨセフ)による、壮大なる謀事ではなかったか。
これをもって、「キリスト=神の子論」は見事に完結した

阿刀田先生は、そう締めくくります。
謀事説の真偽は別としても、「キリスト=神の子論」を受け継いだ弟子達により、キリスト教は世界宗教へと発展していきます。
これについては、明日!

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