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夕学レポート

2011年11月29日

「顔の見える人」が担うエネルギーシフト 飯田哲也さん

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「起きて困ることは起きない」
「起きないと信じよう」
「起きないことにしよう」

昭和史研究で知られる作家の半藤一利氏は、近代日本のエリート層が陥る通癖的思考をこのように表現する。
自分達にとって都合の悪い危機から目をそらして、いたずらに時間を消費し、発生した時には手遅れになる。最後のつけは、立場の弱い人々(国民)が一身に背負う。
ペリー来航を予見していながら手を打っていなかった江戸幕府の幕閣。勝てないと知りながら泥沼の戦争にのめり込んでいった陸海軍の高級参謀。皆同じ陥穽に嵌っていたという。
飯田哲也氏の話を聴くと、いわゆる「原子力ムラ」の住人達も同じ思考に陥っていたことがわかる。はからずも、それが露呈したのが3.11であった。
飯田氏は、官邸の災害対策本部が、地震発生当日の夜に発表した資料を示した。
【東京電力((株))福島第一原発 緊急対策室情報】2011/3/11 22:35
○2号機のTAF(有効燃料頂部)到達予想、21時40分頃と評価。
炉心損傷開始予想:22時20分頃
RPV(原子炉圧力容器)損傷予想:23時40頃
○1号機は評価中 
  
※現物はこちら
京大大学院の原子核工学専攻を出て、自らも「原子力ムラ」の一員として仕事をした経験を持つ飯田氏は、これを見て「とんでもないこと(メルトダウン)が起きた」と即応した。原子力のプロなら皆同じ危機感を持ったはずだと、飯田氏は言う。
ところが、原子力安全委員会の斑目委員長を筆頭に「原子力ムラ」の指導者達が見せた脊髄反射的な反応は、冒頭の通癖そのままであった。


世界の歴史に残る原発事故は三回目である。
1979年のスリーマイル島事故は、米国と北欧の原発建設を中止させた。
1986年のチェルノブイリ事故は、旧ソ連の崩壊の一因になった。
フクシマの悲劇から日本が学ぶべき教訓のひとつは、先を行く海外諸国と同じように、エネルギー政策の大転換を決断する時期が来たという認識であろう。
飯田氏によれば、折しも、21世紀初頭の10年間は、人類史における「第四の革命」を迎えている時期に重なるという。
フクシマを踏まえて、いち早く脱原発を決定したドイツは、すでに10年以上前から自然エネルギーへのシフトを始めていた。
技術革新と政治判断、政策的支援のマッチにより、00年6%だった自然エネルギー比率は、→10年には17%を越え、20年には35%に達する予測だという。
例えば太陽光発電でいえば、初期段階のコスト増は、固定価格買取制度などの支援政策により賄っているが、テクノロジーラーニング効果が働いて、劇的にコストは下がりつつある(7年間で1/3に)。あと5年~10年で上乗せ価格は必要なくなるだろうと言われている。
風力、太陽光などの自然エネルギーをベース電源として、火力や原発をピーク時に対応する調整弁電源と位置づける新たなエネルギー構造が出来上がりつつある。
一方で日本では、「自然エネルギーは高い」「実用段階には時間がかかる」という声をよく聞く。つくば市の「回らない風車」といった象徴的な失敗例もある。
なぜこうなっているのか。
飯田氏は、自然エネルギーそのものが悪いのではなく、やり方が悪いと一刀両断する。
お金の出し手(行政)とそれに群がる受け手(受託企業・コンサル)はいるが、責任をもって運用を担う主体的責任者がいない。新たなことを始める際に付きものである障害を丁寧に取り除く、泥臭い仕事を担うプレイヤーがいない。
ハコモノ行政や三セク方式の産業振興が上手く行かないのとまったく同じ図式がある。
自然エネルギーの推進は、「顔の見える人間」が真ん中にいないと上手く回らない。
そう確信している飯田さんチームは、意識の高い小さな自治体と組んで「地域で顔の見える人」を主役にした自然エネルギー事業推進に挑戦している。
・おひさま進歩エネルギー・立山アルプス小水力事業
先進海外事例の成功例を見て言えることは、「決め手は人間」だというシンプルな本質である。
自分の地域のエネルギーをどうするか、産業や雇用をどうするか、環境をどうするか。
それを真剣に考えている地域の人が主役になった小さな取り組みが、自生的に発生し、結果的に大きな産業に育っているのが理想なのだろう。
官僚が精緻な絵を描き、政治家をおだてながら物事を決め、予算のついでに天下り組織もセットで作って、「いっちょ上がり」という従来パターンでは絶対に上手くいかない。
「人の役に立つことが、人間の喜びにつながる」という原理に軸足を置いて、個の志を集め、民の力を集約し、ITを活用して人力では出来なかったサービスを実現する。それは、規模の大きさを競うイノベーションではない。たとえ小さくとも、キラリと光るイノベーションである。
金子郁容先生が、「協働のイノベーション」と称した、新しい公共という形が、ここでも求められている。

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