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慶應丸の内シティキャンパス慶應MCCは慶應義塾の社会人教育機関です

ファカルティズ・コラム

2009年01月16日

前向きなゲシュタルト崩壊とは

“ゲシュタルト崩壊”
皆さんも聞いたことがあると思います。
ゲシュタルトとはドイツ語で「部分と全体の関係性のこと」であり、つまりゲシュタルト崩壊とは「今までアタリマエだと思っていた部分と全体との関係性が壊れる」ことを意味します。
たとえば、なに不自由なく温かな家庭で暮らしていると思いこんでいた人が、両親の離婚とその後の貧困をきっかけに家族関係や社会との関わりが劇的に変わり、お金以外誰も信じられなくなったようなケースが、ゲシュタルトが崩壊した状況と言えます。
他には『文字のゲシュタルト崩壊』というのもあり、これは私が研修やセミナーの冒頭で行っているアイスブレークの漢字ゲームでもしばしば起こります。
あるルールを満たす漢字を考え、ホワイトボードにいくつも書き、それを眺めていると・・・

「この漢字は本当に文字か? 何かの記号では?」
と正しい漢字であるにも関わらず、妙な違和感を持ってしまうのです。
漢字の部首が独立した記号に見えてしまい、その集合体であるひとつの漢字を文字として読めなくなってしまうのです。
まさに部分と全体との関係が壊れた、ゲシュタルト崩壊がそこで起こっているのです。
さて、このゲシュタルト崩壊。
文字のゲシュタルト崩壊程度であれば、完全に一過性のもので問題ないのですが、時には前述の「お金しか信じられなくなる」例のように、自身の社会生活や周囲に悪影響を及ぼします。
アイデンティティが崩壊してしまうのですね。
また、ネットの都市伝説的なものでは、
「鏡の中の自分に向かって毎日何度も『お前は誰だ』と言い続けると、ゲシュタルト崩壊を起こし、自分が誰なのか本当に分からなくなる」
というものまであります。
まあかなり眉唾ではありますが、私も絶対やってみたくありません(笑)
ということでかなり問題の多いゲシュタルト崩壊ですが、ちょっと見方を変えてみたいと思うのです。
アタリマエだと思っていた部分と全体の関係性が壊れるのがゲシュタルト崩壊。
それによって今まで見ていた景色が、全く別の景色として見えてくるわけですね。
確かにそれはショックでしょうし、それによる悪影響が出る場合もあるでしょう。
しかし、「景色が違って見える」ことは、悪いことばかりではないはずです。
恋人ができたとたん、今までつまらなかった景色が急に輝いて見えた経験はありませんか?
これもまたゲシュタルト崩壊だと思うのです。
だから上手に活かせば、つまり意識的に前向きなゲシュタルト崩壊を起こせば、生活や仕事に好影響を与えることもできるのではないでしょうか。
たとえば職場関係で考えてみましょう。
上司と部下とはどのような関係がアタリマエだと考えていますか?
「上司が部下を管理する」という関係でしょうか?
それとも「上司が部下を指導する」関係でしょうか?
でも、本当に別の関係性はありませんか? それをあえてを見つけてみてください。
「部下が上司を支える」関係も確実に存在しますし、「上司が部下に気づかされる関係」もあるはずです。
さて、このように別の関係性を見つけると、今までとは違った景色が見えてきませんか?
「そうか、自分が上司を支えているんだ」と思えば、上司の小言にも卑屈にならなくて済んだり、支えるために何をすべき(してあげる)か、を考えるようにもなるかもしれません。
これまたゲシュタルト崩壊の活用です。
他にも、競合他社との関係を、「つぶし合う関係」ではなく、「ともに市場を活性化させる同志としての関係」ととらえてみると、やはりマーケットの景色が変わり、自身のやるべきことを前向きに考えることもできるようになるはずです。
「アタリマエと思っている何かと何かの関係性を、別のとらえ方をしてみる」
こうした『前向きなゲシュタルト崩壊』によって景色を変えてみませんか?

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