KEIO MCC

慶應丸の内シティキャンパス慶應MCCは慶應義塾の社会人教育機関です

ファカルティズ・コラム

2009年04月24日

なんでもググれば良いってものではありません

私が子供の頃の“アタマの良い人”とは、“物知り”とほぼ同義でした。
つまりたくさんの情報(知識)を「記憶している」ことが素晴らしいと、一般的に考えられていたわけです。
しかし今やこの「知識が豊富」であることの重要性が薄れてきています。
そう、「知らなくたってググれば(googleで検索すれば)わかる」と考える人が増えたからです。
確かにインターネットという『全世界で共有された脳』が存在し、その膨大な情報の中から目指す情報に効率的にたどり着けるgoogleは、たいへん便利な道具です。
私も毎日お世話になっていますし、googleを代表とする検索エンジンなくしては、インターネットの価値はゼロとは言わないまでも悲劇的に下がるのは間違いないでしょう。
さて、ここで詳細なgoogleの功罪を語るつもりはありませんが、googleという便利なツールがあるからと言って、「今や知識を覚える必要なんてないんだよ」という短絡的な考えには反論したいと思います。
考えてみてください。今や知識を覚える必要性は、本当に薄れたのでしょうか?
これに答えるためには、まず『知識の用途』について考える必要があります。

私は、そもそも知識には2つの用途があると考えます。
ひとつはある知識そのものが、何らかの問いに対して直接的な答となる場合。たとえば「この○○って俳優、前に何のドラマに出てたっけ?」や、「この商品の機能は?」といった問いに対して答えるようなケースです。
テストの問題で人名や用語を答えるのは、この『知識=問いの直接的答』の有無が問われているわけですね。
こうしたケースではgoogleは非常に効果的・効率的です。(ただ、Wikipediaをはじめ、ネットの情報は正しいとは限らないことを忘れてはいけませんが)
しかしテスト問題で言うと、数学の問題はいくらググってもその直接的な答は見つかりません。(ネットで公開されている過去問を出題者が安易に使ったのなら別ですが)
また、ビジネス上の問題解決において「どうしたらいいのだろう?」と考えた場合、その直接的な答をググる人はいないでしょう。
「そんなこと当たり前だろう」。はい、その通りです。
では、こうした問いに答えるには何が必要でしょうか?
そう、同様の問題を解く計算式などの「数学の知識」や、他社事例などの「問題解決の知識」といった知識なくては、こうした問いに答えることはできないはずです。
これが知識のもうひとつの用途である、『知識=考える材料』です。
そもそも「考える」とは、頭の中にある様々な情報(知識)を組み合わせ、関連づけを行う行為です。
解決したい問題が、自分も含めて組織が初めて直面した問題だとしたら、直接的答はどこにもありませんし、ましてやググって探すなどは、たんなる無駄足であることは言うまでもありません。
だから他社(他者)が経験した様々な類似の事例が、「自分の問題の答を考える」ための知識として必要になります。
「ここではこうして、こっちではこうしたらうまくいったのか、とするとウチの状況はこっちと似ているから・・・」と考えることができるからですね。
また、サッカーや野球などの経験で得た知識がビジネスで使えるのも、やはりそれが「考える材料」になっているからです。
組織での付き合い方やリーダーシップ、または戦略や人材育成などなど・・・
一見関係なさそうな知識も、時として全く別の問いに答えるために使えるのです。
以前ある先生からこんな愚痴を聞きました。
「以前の学生は『お薦めの本を何冊か教えてください』と言ってきたが、最近の学生は、『○○に関して良い本を1冊だけ教えてください』と言ってくる」
その先生も、「やはりgoogle文化の影響で、若い人が直接的な答をピンポイントでほしがるようになった」とのご意見でした。
確かにピンホイントで知ることによる知識の深さも重要です。
しかし知識の広さも加わってこそ、情報を関連づける糸の数も多くなり、それだけ広く考え、思いも寄らぬ斬新な答が見つかるはずです。
たとえばある業界に対するマーケティングを考える際も、その業界の知識だけでなく、その業界が顧客としている業界の知識も必要となるし、当然日本経済や世界経済全体の動向も知識として必要。
一見関係ないと思いがちな情報が、実は因果関係の糸を辿ると影響を及ぼすというのは、「風が吹けば桶屋が儲かる」や「ブラジルで蝶が羽ばたくとテキサスで竜巻が起きる」のような極端な例を引くまでもなく、現実に起こっています。
だから幅広い知識は必要であり、そのためにはまず、「これは自分には関係ない」と思わないようにすることが肝心です。
自分に関係のないことなど無い。
無駄な知識など世の中には無い。
そう考えることからスタートしてみてください。
そのためにも手っ取り早いのは、やはり新聞を読むことでしょう。
いかにネットが普及しようが、多用な情報をざっと一覧できるという特性は新聞ならではです。とはいえ、新聞とは隅から隅まで読む必要はありません。
ばさっと広げて見出しとリード文を斜め読みするだけで、必要な情報はあらかた得ることが出来ます。そのように新聞は構成されているのです。
さあ、「ニュースはネットで十分」などと言わず、一日に10分でも新聞をざっと読んでみてはどうでしょう。
そしてインターネットでは、ググってピンポイントで情報を得るだけでなく、時にはリンクを辿ってあちこちをフラフラと、そう、殆ど死語になりましたがネットサーフィンをしてみてはいかがでしょう。
そこで得た知識が思わぬ所で活きることが必ずありますから。

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