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ファカルティズ・コラム

2009年10月02日

マニフェストの功罪

先の総選挙で、ついに民主党は悲願の政権交代を実現させました。
そして「中身だけでなくスピードも違いますよ」とばかりに、外交・予算と矢継ぎ早に様々な手を打っています。
その中でも注目されているのが、八ツ場ダムの建設中止をはじめとした「無駄な公共事業の見直し」であり、賛成/反対入り乱れて様々な意見が飛び交っています。
地元の工事推進派の方々は、「中止前提の話し合いには参加しない」方針のようですが、ではなぜ前原国交相が中止前提なのかと言えば、その大きな理由はやはり「選挙前にマニフェストに明記したから」でしょう。
「政権公約として国民に約束したことを裏切るわけにはいかない」という論理ですね。
確かに何かを約束し、それで支持(票)を集めたのであれば、その約束を守ることは信義という点でも当然のことでしょう。
しかし、約束したことが何らかの理由で間違っていたとしたら・・・?
私は、このブログでダム建設の是非について述べるつもりはありません。
しかし、この騒動の大きな要因であるマニフェストというものについて、本日は考えてみたいと思います。

さて、マニフェストは政権公約と和訳されますが、これには大きく4つの意味(メリット)があると言われています。
(1) 現在の政治が抱える問題点を明確化する。
(2) 美辞麗句を並べた宣伝活動に終始しない、実行可能性が担保された政策を提示する。
(3) 有権者の政策本位の選択に資する。
(4) 公約を掲げ当選した候補者または政党による施政の事後評価を可能にする。
これらを私なりに翻訳すると、マニフェストとは掲げる政策を、『具体的に何をやるのか、また実現可能かどうかをわかりやすくして有権者が選択しやすくする』とともに、選挙後には『その政策を実行したのかしないのか、またその効果はあったのかをチェックしやすくする』という2つの意味があるということでしょう。
だからこそ民主党のマニフェストでは、「衆院定数を80削減」「医師の数を1.5倍に」「中学卒業まで、1人当たり年31万2000円の子ども手当を支給」などのように“数値目標”を明確にし、「八ツ場ダムの建設中止」などのように具体的手段も明確にしています。
また自民党のマニフェストも、「平成29年までに道州制を導入」「食糧自給率50%」「10年後には衆参定数を3割以上削減」などとやはり定量化は行っていますが、具体性に関しては民主党より低いと言わざるを得ません。
正直言って、今回の選挙はこのマニフェストの内容の差が勝敗を決めたわけではないでしょう。
しかしマニフェストからも、「とにかくウチに任しとけば大丈夫」という自民党と、「これをやるからとにかく一度ウチにやらせてみて」という民主党のスタンスの違いが見えてくるとは思いませんか?
実はここからが本題。
確かにマニフェストには上記のようなメリットがあるわけですが、デメリットがあることも忘れてはなりません。
その最も重大なものが、「マニフェストに縛られる」ことです。
マニフェストは確かに守るべき約束ではありますが、「マニフェストを守ること」が大事なのではなく、「マニフェストの実行・実現によって国民が受益者になること」が大事なはず。
マニフェストを作る際には、もちろん分析や評価を繰り返しているのでしょうが、それとて限られた時間の中で人間がやっているわけですから、データが足りなかったり、その読み違えがあったりするのはやむを得ないことです。
つまり後から「ああ、このマニフェストのここはマズかったなあ」となることは十分に考えられるのです。
では、たとえそうだとしても、そのマニフェストは実行すべきだとあなたは考えますか?
「マニフェストで約束したんだからその方針は変えない」と言うのと、「途中まで作ったんだからダムは完成させろ」と言うのは、全く同じ主張であってお互い大人の対応とは思えないのは私だけでしょうか?
安易な朝令暮改や意識的なマニフェストの反故(要は詐欺ですね)は困りますが、誤りは素直に認め修正する勇気も必要だと思うのです。
我々は企業の不祥事の事例からも、それを学んだはずです。
ビジネスも政治も信頼がベースであれば、くだらないプライドなど捨てるべきでしょう。
そしてマニフェストに関して、もうひとつ提案があります。
それは、「具体的手段までは明記しない」ということです。
目指すゴールを定量的に明確化することは、有権者の選択支援の観点からも、また選挙後の評価の観点からも必要です。BSC(バランス・スコアカード)のキーワードである“KGI(キー・ゴール・インジケーター:重要目的達成指標)”の位置づけですね。
だから「衆院定数を80削減」「医師の数を1.5倍に」は良いのです。
しかし、「八ツ場ダムの建設中止」は本当に明記する必要があったのでしょうか。たとえば「公共工事を3年間で過去3年間の60%に減らす」ではなぜダメなのでしょう。
具体的な手段も明記したい(してほしい)のは確かですが、それは「数多くの候補の中からこれから絞り込む」のが現実的な進め方ではないでしょうか。
(個人的には、「医師の数を1.5倍に」では具体的手段を明示せずに、「八ツ場ダムの建設中止」や「1人当たり年31万2000円の子ども手当を支給」などが具体的なのが、妙にバランスが悪くて気になります)
BSCではKGIを達成するためのマイルストーンとして、“KPI(キー・パフォーマンス・インジケーター:重要業績評価指標)”も併せて設定することが求められますが、全体最適が求められる度合いが民間企業と比較すると段違いに大きい国政においては、このKPIに当たる数値目標達成の具体的手段(中止する工事名や子供手当の金額など)をマニフェストに盛り込むのは、却ってデメリットが大きいように思うのです。

ところで「八ツ場ダム問題」の報道は、どうして「住民感情」と「無駄な公共工事」という2つの切り口しかないのでしょうか。
まあ「着工後でも無駄なものは止める」ことの試金石(失礼な言い方をすれば“捨て石”)、ということは言いにくいでしょうが、少なくとも「これが10年後、20年後の公共工事にどう影響するのか」という中長期的な時間的視野は、賛成/反対どちらの立場でももっと語ってほしいところです。

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