KEIO MCC

慶應丸の内シティキャンパス慶應MCCは慶應義塾の社会人教育機関です

ファカルティズ・コラム

2010年01月17日

蚊柱に思う

ここ最近、妻とふたりで出かけることが増えてきました。
実は今日もこれからふたりでデート(笑)
サントリーホールでショパンのピアノ協奏曲2番とブラームスの交響曲1番を聴いてきます。
やはり子供が大きくなってくると、家族全員でいつも一緒というわけにはいきません。
いずれムスメも巣立っていきますから、今のうちから妻とはこういう機会を作っておくのは悪いことではないでしょう。
さて、これは最近というわけではなく、昨年の秋頃のお話です。
私と妻はふたりで近所に散歩に出かけました。
自宅近くの江戸川沿いをふたりで歩きながら、娘の話を中心に他愛もない会話をしていたのですが・・・
私たちはそこに何本もの『蚊柱』が立っているのに気づいたのです。

みなさんもご覧になったことはあるでしょう。
たくさんの蚊がその名の通り柱のように一カ所に集まり、飛んでいるのを。
道行く人はそれを避けながら、また手で追い払いながら歩いています。妻も嫌がっているようでしたが、私が「大丈夫、刺さないから、それ」と言うと、「そうなの?」と不思議そうでした。
蚊柱の正体はユスリカの大群で殆どは雄です。集まって飛ぶことで大きな羽音を立て、そこに雌を誘い込むのです。
蚊柱を構成するユスリカの成虫は、妻にも言ったように人を刺しません。
実はユスリカの成虫には口が有りません。そればかりか内蔵も消化器は無く、そのため成虫になって1~2日で死んでしまいます。
カゲロウやセミに近い生態と言えるでしょうし、非常に儚い存在なのです。
ただ、私は少し疑問があります。
幼虫と成虫と区別しますが、これは本当に(人間と同じように)子供と大人なのでしょうか?
成虫は、大人というよりは「子供を作る時期」を意味するのではないでしょうか。
別の言い方をすれば、「自身の後継者を作る時期」なのでは?
こう考えると、蚊柱が何か尊いものに見えてくるから不思議です(笑)
確かに、ユスリカの成虫のこの行動は単にDNAにインプットされているものかもしれません。
しかしながら、生命維持できない身体、生殖活動しかできない身体で退路を断つその姿には、虫といえど「頑張れ」と声を掛けたくなってしまいます。
これを人間に置き換えて考えてみるとどうでしょう。
「自分の身を捨てて全ては後継者を作ることに集中する」
人間にもそういう時期があっても良いのかもしれません。
自分の腹や懐を満たすことを考えず、名声も求めず、ただひたすらに未来の後継者達を作り、育てることに集中する。
私を含め、全ての教育に関わる人間はこのユスリカの成虫のようであるべきなのかもしれません。
また全ての人間も、一線から退いた後はこの役目を担うべきなのでしょう。
ただ、人間はもちろんユスリカとは違って口や消化器をなくす必要はありません(笑)から、ご飯も食べて体力を維持し、知識やスキルのインプットも行わなくてはなりません。


しかし、ここでまた考えました。
我々ひとりひとりがユスリカの成虫のごとく「身を捨てて後継者育成に取り組む」必要はあるのは確かですが、それでは我々にとっての『蚊柱』は何なのでしょうか。
ユスリカは、蚊柱を作ることで小さな羽音を集め、増幅しています。
ユスリカにとって、蚊柱とは「子作りのライバル達と協力する仕組み」と言えるでしょう。
そうすると、我々にとっての蚊柱とは学校を初めとした“教育の場”なのかもしれません。
多様な教育者の強力で子供や社会人を育てる仕組みです。
PTAなどの保護者のネットワークも、(受験的にお互いライバルと強引に考えれば)蚊柱のような仕組みと言えるでしょう。
また、地域のネットワークやNPOなどの様々なコミュニティも、人を育てる『蚊柱』だと思うのです。


皆さんも、たくさんの蚊柱に参加してみませんか?
実は私の今年の基本コンセプトは、加入している日本ファシリテーション協会をはじめとした、様々な学習コミュニティに今まで以上に積極的に関わることです。
人には格好良く『今年のコンセプトはソーシャル・キャピタルの拡充』と言っていますが、「自分なりのたくさんの蚊柱を作りたい」というのが本音です。

こんなことを気づかせてくれるなんて、妻との散歩も悪くないですね(笑)

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