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ファカルティズ・コラム

2010年05月20日

本質の本質を考えてみる

「君はこの問題の本質がわかっていない」
「本質的にはさ、○○が我々の課題だと思うんだよね」
しばしば目に(耳に)する言葉です。
しかしながら、「ところで『本質』って何ですかね?」と聞かれて答えられる人がどれだけいるでしょうか。
『本質』を辞書で引くと、「物事の本来の性質や姿。それなしにはその物が存在し得ない性質・要素(大辞林 第二版より)」と記載されていますが、少しわかりにくいですね(笑)
なので、ここでは別のアプローチで考えてみましょう。


さて、『本質』の反対語は何でしょうか?

実は、『本質』の反対語は『現象』です。
ここから、『現象』つまり目の前で起こっている出来事に目を奪われてしまうことが、「本質を見ていない」ことだとわかります。
ちなみに『本質的』の反対語は『表面的』(『現象的』という言葉もあるが、哲学用語なので一般的には使われていない)であり、ここからもモノゴトの本質的な特性や問題・課題などは「パッと見では見えない」ものであることがわかるはずです。
「人を見かけで判断してはいけない」というのも、「その人の本質は表面的な見た目ではわからない」ということを意味しています。
ところが我々はどうしても今目の前にある現象から某かの答を出そうとします。
何度も同じミスを犯す部下を見て、「また同じミスを・・・次の異動で飛ばすか」などという短絡的な思考も、同じミスを犯すという表面的な現象しか見ていないからやってしまうのです。
では、どうしたら私たちはモノゴトの本質を見極め、本質的な問題や課題を見つけることができるのでしょうか。
抽象的な言い方ですが、私は「ある現象に対峙した際、空間的・時間的な見方を変えてみる」ことがひとつの処方箋になり得ると思います。
まず空間的というのは、ある現象の裏や奥を見ようとすることです。
そこで起こっていることにフォーカスするのではなく、その背景にピントを合わせるのです。
たとえば誰かの行動を目にした時に、「どのような意図がこの行動の背景にあるのだろうか?」と考えることはできるはずです。
また、「悲しんでいるからなのか、怒っているからなのか?」と相手の感情を読み取ろうとするのも、やはり裏や奥を見ようとする行為です。
そして時間的というのは、ある現象の過去と未来に思いを馳せることです。
何かの問題に直面した際に「どのような経緯でこうなったのか?」と因果関係を遡って考えれば、問題の本質、つまり根本的な原因が見えてきます。これが過去に思いを馳せることですね。
その反対に「この問題は次に何を引き起こすのか?」と因果関係の川を下って考えていけば、その問題の重大性が見えてくるでしょうし、そこから対処すべき問題の優先順位も明らかになってきます。
ところが、私たちはこの「現象の上辺に目を奪われることなく、空間的・時間的に見方を変えて考える」ことがなかなかできていません。(自戒も込めて(笑))
どうしても日々の仕事に追われる毎日。
問題解決のスピードが優先される時代であることも一因でしょう。
しかしこの「目の前の問題をサクサクと片付けていく」という仕事の進め方が、却って余計な工数を自分に強いていることも認識すべきです。
たとえば顧客との間に何らかのトラブルが発生したとしましょう。
お客さんが怒っている。その表面的な現象をちゃんと見ることはもちろん大切です。
しかし現象面のみに目を奪われてしまうと、「どうやってその怒りを静めるか」しか考えられなくなります。
そしてそれに対して手だて(たとえば「上司が菓子折持って謝りに行く」)を打ったとして、それが的外れである可能性もあります。
その手だてを考えた時間、手だてを打つにかかった時間やコストは無駄になってしまいます。
だから空間的に裏や奥を見ようとしなければなりません。
お客さんが怒っている(ように表面上は見える)意味や意図、つまり背景にピントを合わせようとしなければなりません。
そうすれば、たとえば「自分と自社のトラブル対応力を試している?」「担当者としてのメンツがつぶされたのを怒っている?」といった、怒った顔の奥や裏に潜んでいるものがうっすらと見えてくるかもしれません。
何が奥や裏に隠れているかによって、打つべき手だては当然異なりますから、それが特定できれば的外れな対応をすることもなければ、余計な時間やコストを掛けることも避けられます。
加えて、このケースでは時間的な見方を変えることも有効です。
トラブルという一大事に際して、「これをなんとかしなければ」と考えるのは仕方のないことですが、目の前で起きているトラブルにその都度対処していくのは、典型的な『モグラ叩き型問題解決』です。
ここで中長期的な見方(未来に思いを馳せる)ができれば、「どうやったら同様のトラブルの発生をなくせるか?」を考えるようになりますし、そのプロセスとして「なぜこのようなトラブルが起こってしまうのか?」と原因分析(過去に思いを馳せる)の必要性に気づくはずです。
モグラ叩き型の対症療法より、原因療法で今後の余計や工数とコストを削るべきです。


さて、私たちが何気なく使っている『本質』『本質的』という言葉に着目し、反対語からその本質を考えてみました。
モノゴトの本質を見極めること、モノゴトの本質的な問題や課題を見つけることは簡単ではありません。
上記の手法も口で言うほど容易いものではなく、出した答が結果的に外れてしまうこともあるでしょう。
しかしだからと言って表面的な現象に目を奪われたままで良いはずもありません。
本エントリーが、少しでも皆さんの問題解決のお役に立てれば幸いです。

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