KEIO MCC

慶應丸の内シティキャンパス慶應MCCは慶應義塾の社会人教育機関です

ファカルティズ・コラム

2011年09月05日

「さっきは面白いと思ったんだけどなあ」について分析してみる

以前私がtwitterでフォローしている方が、
「頭の中で温めた内容を、喋ったり書いたりすると、メチャクチャつまらなく凡庸な印象を受ける。何なんだろ、このでかいギャップは?表現の問題?そもそも中身が無い?中身の無いアイディアも頭の中では刺激的なのか?」
とツイートされました。
そして私も「あるある!」と思いました。
仕事だけでなく、皆さんもこんな経験ありませんか?
人の話やあるニュースをモノスゴく面白いと思った。だから知人にも教えてあげようとしたら…相手はたいして反応してくれない。そればかりか話している自分もノレない。あまり面白い話とは思えなくなっている。
「なんでさっきはあんなに面白いと思ったんだろう?」
他人のつぶやきをきっかけにちょっと考えてみました。

確かに自分の同様の経験がある。でもなぜなんだろう?
思いを巡らせていくと、大きく2つの理由が見えてきました。
以下はあくまでも私の仮説です。他に思いつかれた方はぜひコメント欄でご教示ください。


まず第1の仮説が、「本当に内容がつまらないから」です。みもふたもないですが(笑)
「箸が転がってもおかしい年頃」という言葉があるように、どんなにつまらないことでもタマタマ何かのツボに入ってしまうと「ムチャクチャ面白い」と『勘違い』してしまうことはあります。
その場のノリやその時の心理状態が、つまらないことを面白いと感じさせるわけですね。
こうしたケースは否定できませんが、しかしながらそれだけでもないはず。


そこで見えてきた2つめの仮説が、「コンテンツ(内容)とコンテクスト(文脈)とのリンクが切断されるから」です。
私たちは「考える」という行為を行う際、頭の中の情報(=考える素材)と他の情報を必ず関連づけています。
これは何かを面白いと考えるか、つまらないと考えるかも同じ。
ある思いついたコンテンツは、他の何かとの関連(たとえばそのコンテンツに似たものとの『比較』という関連や、それが応用可能なシチュエーションへの『置き換え』という関連)において「面白い」と判断されます。
あるコンテンツを「面白い」と考える(判断する)には、こうしたコンテクストが必ず存在します。
そしてこのコンテクストはひとつとは限りません。
人間の頭はコンピューターでも真似できないほどの情報処理能力を持っていますから、瞬時に多数のコンテクストとのリンクを張り、それらを総合的に判断して「面白い」とみなしているのです。
ところが残念ながらこのリンクが切れてしまう。
だから「さっきは面白いと思ったんだけどなあ」となってしまうです。
では、なぜこのリンクが切れてしまうかというと、それは2つの理由が考えられます。
ひとつめが『記憶の限界によるリンクの切断』です。
人間の頭は確かに優秀なコンピューターを超える情報処理能力、つまり考える力を持っています。しかしながらコンピューターに絶対太刀打ちできないのが、情報の蓄積能力、つまり記憶力なのです。
コンテンツからコンテクストへ、膨大なリンクを一瞬で張っても、直後にそのリンクや対応するコンテクストを忘れてしまうのです。
時には、コンテクストやリンクを憶えていたとしても、「間違って記憶する」ということまで起こります。本当に人の記憶は当てになりません(笑)
結果「面白いと思った理由がわからない(思い出せない)」という事態を招くわけです。
そしてふたつめの理由が、『言語化に伴うリンクの切断』です。
私たちは言葉「だけ」で思考をしているわけではありません、頭の中である場面などをイメージするのも「考える」という行為の一形態です。
あるコンテンツを面白いと判断する時も、それを他人に話している場面やそのコンテンツが実行に移されている場面など、様々なイメージが脳裏に浮かんでいるはずです。
ところが、そのコンテンツを人に話したり自分なりにまとめようと思うと、どうしても話し言葉や書き言葉として「言語化する」ことが必要になってきます。
そうすると、どうしてもある程度の要約が必要になり、様々なリンクをひとまとめにしたり、時に重要性の薄いリンクや言葉で説明しにくいリンクは強制的に切らざるを得なくなります。
『言語化』とは概念化の一形態であり、概念化は抽象化を伴い、しばしばそれは一般化という形で表現されます。
これが要するに「言葉にすると陳腐化してしまう」ということです。


さて、こうして「さっきは面白いと思ったんだけどなあ」の理由を考えてきたわけですが、原因分析で終わってしまっては問題解決はできません。
ここから見えてくる「さっきは面白いと思ったんだけどなあ」にならないための課題は何でしょうか。
第1の仮説「本当に内容がつまらない」からはあまり示唆はなさそうです。
せいぜい「勉強なり経験なりでもっと修行すべき」くらいでしょうか(笑)
やはり考えるべきは第2の仮説「コンテンツとコンテクストとのリンクの切断」から、「どうればリンクの切断を最小限にとどめられるか」を考えるべきでしょう。
これもリンク切断の第1の理由『記憶力の限界』はあまり考えても仕方ないでしょう。とするとポイントはやはり『言語化に伴うリンク切断』にありそうです。
とするとひとつの処方箋として「あえて言語化しない」こともアリかもしれません。
「言葉にせずに、イメージをそのまま絵にする」ことは、絵心の問題はありますが、今後試してみる価値はありそうです。
ふたつめの処方箋は「言語する際、あえてまとめない」ことかもしれません。
頭の中で要約しようとするから、どうしても抽象化・一般化せざるを得ない。であれば、あえて要約、つまりまとめようとせずに、きれいな文章、かっこいい言い回しをしようとせずに思いつく言葉をどんどん書き殴っていく。
「まとめるのは後でもできる」と考え、こうして全て書き出し、リンクさえも矢印で可視化していけば、リンク切れも減らせるはず。
マインドマップなどのライティング技法を使えば、さらにベターでしょう。
そしてみっつめの処方箋は「言語化能力を上げる」ことでしょう。
何も「難しい表現をすればいい」というわけではありませんが、やはり誰もが考えつきそうな一般的な表現では自分も他人も陳腐に感じてしまいますし、イメージしたことをビシッと言い表した言葉でなければ、これまた自分も他人も共感できません。
これは簡単なことではありませんが、以前このブログでも紹介した反対語や類義語のトレーニングによって、この言語化能力を上げることは可能と考えます。
ちなみに私の講座『ビジネスプロフェッショナルの説明力』でも、この言語化能力に関してのトレーニングが盛り込まれています。(宣伝すいません(笑))


さて、今回は「さっきは面白いと思ったんだけどなあ」について考えてきたわけですが、この考察の内容だけでなく、こうした思考プロセスもぜひ参考にしてみてください。
今回のような『問題の原因分析→仮説の優先順位づけ→課題設定→課題解決策の分析』という流れこそ、問題解決における”分析型アプローチ”のスタンダードなステップです。
ちなみに私の講座『本質的課題解決』でも…
あ、宣伝はそのへんにしておけ、という声が聞こえてきそうですので、このあたりでやめておきましょう(笑)

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