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慶應丸の内シティキャンパス慶應MCCは慶應義塾の社会人教育機関です

ファカルティズ・コラム

2011年08月25日

英語の勉強会で気づいた『聞き方を変える』ことの意味と方法論

「何を今ごろ」と言われそうですが、遅ればせながら英語を勉強中です。
こういう仕事をしている以上、読み・書き・会話の様々な場面で英語力が必要なのはわかってはいても、学生時代からの苦手意識が邪魔して見て見ぬふりをしてきました。
いや、やろうとして本を買って勉強を始めたこともあったのです。でも続かない(笑)
しかし所属している日本ファシリテーション協会(FAJ)が海外のファシリテーターのコミュニティと交流を持つようになったことから、その活動のメンバーとして加わりました。
そして近い将来日本で国際的なカンファレンスを開催するところまで話は進み、さすがの私も重い腰を上げたわけです。
そのカンファレンスでプレゼンター&コーディネーターをやりたい。
しかしその想いだけではどうしようもありません。危機感だけが膨らむ中、なんとありがたいことにファシリテーター仲間からのお誘いがありました。
「一緒に英語を勉強しませんか?」
これは飛びつくしかないでしょう(笑)

こうして『50English』という本を教材に、仲間達との勉強会がスタートしました。
とにかく50個の例文を丸暗記し、順番に、あるいはランダム(たとえば「じゃあ37番!」といった感じ)にその例文を話します。
自分が当たった例文を覚えていないと、なかなか恥ずかしい&悔しい思いをします(笑)
いきおいモチベーションも高くなりますし、お互い励まし合いなからあっという間に時が過ぎます。
つくづく、「学習において仲間の存在は重要」だと思いました。
ちなみにこの教材、やればやるほど「よく考えられている」ことに感心します。
50個の例文を覚えたら、次はそれを使った会話文、そして今度はそれを自分なりにアレンジ(たとえば主語や動詞を変える等)してスピーキングします。
基礎から応用への流れがスムーズなのですね。
また各例文も、同じような文章が立場やシチュエーションに応じ、様々な表現が使い分け(たとえば誰かにお願いする文が「Could you~」「Why don’t you~」など数パターンある)てあり、より実践的です。
こうして数回の勉強会を重ね、亀の歩みながらもなんとか英語に対する苦手意識が払拭されてきた頃、勉強会のリーダーの方から新たなお誘いをいただきました。
「スモールトーク(他愛のない雑談・世間話)の勉強会も始めます」
これまた渡りに舟です。
シンポジウムやカンファレンスでヒアリングやプレゼンテーションができるだけでは、「参加した」とは言えません。
それでは一方通行のコミュニケーションだからです。
質疑応答、そして参加者やプレゼンターとの双方向のコミュニケーションができてこそ、「参加した」と言えるでしょう。
ゴールは英語で丁々発止のディスカッションができること。
そしてそのための前提条件として必要なのが、「簡単な雑談ができる」レベルの英語力です。
まずは挨拶、そしてスモールトークで場を暖めた後、突っ込んだディスカッションに入ると、結果的に短時間、かつ活性化された議論になるわけですね。
アイスブレークの一形態と考えても良いでしょう。


実はその『スモールトーク勉強会』の第一回が今週火曜日に開催されました。
そこでの経験はまさに「目から鱗」。「ああ、これなんだなあ」と感動すら覚えました。
元々はネイティブ向けの教材(つまりネイティブでもスモールトークに課題を抱えている人がいるということですね)なのですが、ジャズのリズムに乗って元気よく「Hi! How are you?!」からスタートします。
初めは恥ずかしいのですが、アメリカ人になったつもりで頑張りました(笑)
講師役の方からは、「とにかくこのリズムを体で憶えること」をアドバイスされました。
そうしたら…!
ネイティブの話す英語がすんなり頭に入ってくるではありませんか。
たとえば、最初は何度聞いても「good to see you」としか聞こえなかったのに、リズムを意識すると、ちゃんと「It’s good to see you」と「It’s」が聞こえるのです。
これはどういうことなのか。
私たちはこう考えました。
私たち日本人は、無意識的に「タン・タン・タン・タン」と表打ちの単調なリズムで会話している。
それに対し、英米人は「ンタン・ンタン」と裏打ちで「半拍食う」ノリの良いリズムで会話している。
そもそも英語と日本語ではリズムが異なるのだ、と。
つまり今までは無意識に日本語のリズムで英語を聞いていたので、半拍前の「It’s」を聞き漏らしていたわけです。
また、「のどの奥から声を出す」こともアドバイスされたのですが、これも意識していると「今まで聞き取れなかった単語が何と言っているかわかる」ことに驚きました。
これまた「日本語と英語では基本的な周波数帯域の幅が違うからではないか」というのが私たちの仮説です。


「我々は見たいように見、聞きたいように聞いている」と言いますが、今回の体験からそれを再認識しました。
『今までとは違う聞き方』をしただけで、今までには聞こえなかった音が聞こえてくる。
とはいえ、その今まで聞こえなかった音も存在はしていた。鼓膜はちゃんと振動していたのです。
ただ単に『脳が必要な音として認識していなかった』だけ。
リズムを変える。
注意する音の高さ(太さ、の方が適切かもしれません)を変える。
今後もこれを意識しながら英語の勉強会に取り組むつもりです。


そしてこれは英語の勉強だけの論点ではありません。
「我々は見たいように見、聞きたいように聞いている」とは、要するに「慣れた見方・聞き方しかしていない」ということです。
だから時に意識して『慣れていない見方と聞き方』をしないと、必要な情報を見逃したり聞き漏らしてしまいます。
私がこのブログで何度も語っている『視座(見る立場)・視野(空間的・時間的な見る範囲)・視点(見るポイント)の切り替え』も、まさに「いつもとは違う見方で世の中を見る」こと。
今回はそれに加え、”リズム”と”帯域”という『聞き方の変え方』まで、主題である英語とともに学ぶことができました。なんという僥倖でしょう。
つくづく仲間達に感謝。です。

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