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慶應丸の内シティキャンパス慶應MCCは慶應義塾の社会人教育機関です

ファカルティズ・コラム

2011年08月12日

なぜ私たちは”苦労自慢”をしたがるのか

皆さんは、「今考えると、なんて恥ずかしい行為をしていたのか…」という経験がありますか。
いや、そういう経験が無い人はいないかもしれませんね。
かく言う私もたくさんあります(笑)
そして思い返せば、そうした『今考えると恥ずかしい経験』の多くが”自慢話”であることに軽い目まいすら覚えます。
さらに言うと、特に恥ずかしいのが”苦労自慢”。
「なぜ、自慢にもならないことを自慢していたのだろう?」
ということで、今回はこの”苦労自慢”について考えてみようと思います。

さて、私に限らずこうした”苦労自慢”をした経験は誰しもあるのではないでしょうか。
「残業が月100時間超えちゃったよ」
「俺なんか先月3日徹夜だぜ」
という仕事に関するものから、
「カレがギャンブル好きなのよ」
「もう子供の教育費で貯金がバンバン飛んでいってさあ」
のようなプライベートに関するものまで、私たちは様々な”苦労自慢”を繰り広げています。
えっ? これは自慢じゃなくて苦しい胸の内をさらした”苦労話”ですって?
本当にそうでしょうか。
少なくとも私の40数年の経験から言わせていただければ、こうした苦労話は、こちらが聞いてもいないのに語られる場合がほとんどなのですが。
それも心なしか楽しそうに。
数少ない「近況を聞かれたから答える」ようなケースでも、待ってましたとばかりにとうとうと語りはじめる人ばかり。
まあ私もその一人だったりするので、決してそれを非難しているわけではないのですが。
やはり、多くの苦労話は実質”苦労自慢”になっていると思うのです。
では、なぜ私たちは自身の苦労を”自慢”してしまうのでしょうか。


私は、「苦労は結果ではなくプロセス」という点がポイントだと考えます。
残業時間も徹夜の数も、そして彼氏の嗜好も飛んでいくお金も、すべて結果ではなくプロセス。
「それで○○になった」という結果はこうした苦労自慢の中ではほとんど語られません。
それはつまり「結果に関しては自慢できない」ことの現れです。
もっと厳しい言い方をすれば、「自分が成果に貢献している自信がない」のです。
だから「こんなに自分は頑張っているんだ」とアピールしているのです。
「”苦労自慢”とは少々屈折した自己アピールだ」、というのは言い過ぎでしょうか(笑)
残業や徹夜の自慢は、ほとんどの場合若手に顕著です。
彼らは「自分の実績」と呼べるものはほとんどありませんから、こうした苦労したプロセスからしか、仕事をしているという実感が得られないのです。
これが中高年層になると”病気自慢”に変化するわけですね(笑)
彼氏や子供に関するお金の苦労も、自分が誰かを支えているという実感を苦労というプロセスに見いだそうとしているのです。


さて、私は「単なる自己アピールの苦労自慢なんてくだらないよ」と言うためにこんな分析をしてきたわけではありません。
ここから見えてきた、


「人間はプロセスを評価されたがる」


という事実が重要だと思うのです。
あなたは、あなたの部下やお子さんの”苦労自慢”にどう応対しますか?
彼ら、彼女らは、意識的/無意識的にあなたに「頑張っている自分を評価してくれ」とアピールしています。それにどう応えますか?
選択肢はひとつではありません。
相手のキャラクターや状況に合わせて、適切な応対が必要です。


「そうかそうか、タイヘンだったな。頑張ったな」と言ってあげるべきケースもあるでしょう。
プロセスが評価されることでモチベーションも上がりますし、お互いの信頼関係も強くなりますから。


しかしその後に、「で、結果は?」とプロセスだけでなく結果も(当然ながら)重要であることをちゃんと伝えなければならないケースも多いはずです。
成果が出ない苦労ばかりを続けていても、それは『無駄な努力』でしかありませんから。
時には「苦労自慢じゃなく成果自慢をしにこい」と言うべき場面すらあるでしょう。
「俺みたいに後で恥ずかしい思いをしたくなかったらな」という言葉を添えて。

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