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ファカルティズ・コラム

2012年05月24日

『印象操作』という印象操作

『印象操作』という言葉があります。
ところが辞書を引いても載っていないところを見ると、どうも日本語としては正式な言葉ではなく、いつの間にか一般化した造語のようです。
しかしその使われ方を見れば、読んで字のごとく「相手の感じる印象を意図的に操作すること」であり、具体的には
「断定口調などにより、自身の感覚/主張がさも一般的であるかのような印象を相手に与える」
などが代表例であり、また「自身の主張に都合の良い情報のみ提示する」「単位やグラフの見せ方、また極端な例と比較する」なども含まれ、要するにレトリックのひとつと考えて良いでしょう。
そしてこの『印象操作』という言葉。
昨年の震災以降、よく目にするようになったと思いませんか?

具体的にはネットなどで
「またマスコミの印象操作か」
「原子力保安員の発表は印象操作が酷い」
といった形で使われています。
完全に『印象操作=悪』という位置づけです。
確かに気持ちはわかります。
自分の印象が勝手に他者から操作されているという事実は受け入れがたいでしょうし、「我々は騙されている!」と声を荒げたくもなるでしょう。
しかしちょっと考えてみてください。
『印象操作』は本当に「悪=やってはいけないこと」なのでしょうか?


私は『印象操作』という言葉(表現)自体が印象操作であり、つまりこの言葉で誰かを批判することは、自分自身をブーメランのように批判していることだと考えます。


さて、『操作』という言葉から、あなたはどのようなニュアンスを受け取りますか?
クルマのハンドルやゲームのリモコン。世の中には操作する機器が溢れています。
そこから我々は「操作される」ということに対して、「相手の意のままに動かされる」という印象を持ってしまいます。
だからそれに抗いたくなる。
『印象操作』という言葉に「操られてたまるか」という感情を抱くのです。
これにより、『印象操作=悪』という印象操作が完結します。
『印象』とは『第一印象』という言葉からもわかるように、明確な思考の結果得られる結論に比べると、もっと感覚的・感情的なものです。
そう考えると、「相手の印象を操作する」ことと「相手に共感してもらえる表現をする」ことは、それこそ与える印象の違いだけで、やっていることは同じであることがわかるでしょう。
そう、『印象操作』とは、誰かを説得して自分の考えに同意させるためには必須のテクニックなのです。
とは言え、私も自分の講座や研修で「ガンガン印象操作しましょう」などとは言いません(笑)
やはりこの言葉は印象が悪いですから。


私は『印象操作(相手に共感してもらえる表現)』を全く考慮しないのは、コミュニケーション能力、具体的には自身の説得力の低さの重大な要因と考えています。
なぜならば、ヒトが真に納得するためには、
■アタマで納得すること
■ココロで納得すること
のふたつを同時に満たす必要があるからです。
アタマで納得するためには、論理的な主張の組み立てが必要であることはおわかりのはず。しかし
「とてもロジカルでおっしゃる通りなんだけど、どうも気に入らない」
と他者の説明で感じたことがありませんか?
それが「アタマでは納得していてもココロで納得していない」状態です。
だからマスコミや政治家に限らず一般市民である私たちも、オフィシャルなプレゼンテーションから日常会話に至るまで、悪く言えば『印象操作』、よく言えば『相手に共感してもらえる表現』は、伝達のテクニックとして使って当たり前であり、使わない方がオカシイのです。
しかしテクニックそのものに罪はありませんが、それを悪用する人/組織が存在するのも残念ながら事実です。
だから私たちは他者の主張を受け取る際に、「どのような印象を自分に抱かせようとしているのだろうか?」と少なくとも一度は考えてみるべきでしょう。
騙されたくなければ、そして洗脳されたくなければ。



ところで、私のこの文章も至る所で印象操作を行っています(笑)
ひとつだけタネ明かしをすると、「という印象を持ってしまいます」という表現がそうです。「という印象を持ちます」という表現と比較してみてください。
明らかに「という印象を持つ」ことが良くないこと、というニュアンスが読み取れるはずです。

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