KEIO MCC

慶應丸の内シティキャンパス慶應MCCは慶應義塾の社会人教育機関です

2013年06月13日

“センス”の磨き方

Facebookでも紹介した日経BP Onlineの記事『センスのない人がトップに立った会社は悲惨』について、今一度整理してみたいと思います。
上記リンクの記事では、一橋大学大学院の楠木建教授が、近著『経営センスの論理』に絡めて、「経営者には、経営スキルだけでなく、経営センスが必要」と語られています。
また、「センスとは論理の引き出しのこと」「異なるセンスに触れて、初めてセンスがわかる」とも言われています。
詳しくはリンクの記事本文をぜひ読んでいただきたいのですが、私はこの記事を読んで、ずっと考えていたことがクリアになった気がしました。
「やはりセンスはトレーニングで高める(磨く)ことができる」
「そしてセンスを磨く最善のトレーニングは『対話』だ」



楠先生はここでは”経営センス”について語られていますが、これは経営に限定して考えるべきではありません。
重要なのは、”センス”の有る無しが、『論理の引き出しの数』で決まるということです。
自分がこう動くと、相手はこう動く。
あの人がこういうことをやったのは、こういう理由。
ガリレオ先生ではありませんが、「全ての事象には原因がある」、つまり世の中は因果関係出てきています。
また、再現性が保証できない人の行動にも、かならず理由があります。
そこには”論理”が存在するのです。


この論理が「少ない」とどうなるか。
そう、ある状況に投げ込まれた時の思考や行動が『画一化』してしまいます。
打ち手が限られてしまうわけですね。
言い方を変えれば、「臨機応変な対応ができない」。
こういう人に対して、私たちは「センスがないなあ」と言っているはずです。
だから重要なのは、この論理を数多く持つこと。
これが「論理の引き出しを増やす」ということです。
論理の引き出しが多い、つまり様々な『結果とその原因』『行動とその理由』を知っている人が、『センスがある人』なのです。


では、その引き出しはどうやって増やすか。
それは『対話』が最善の手段である、というのが私の結論です。
「人がこういうことをする時には、こういう理由がある」という複数の事実から、「そういうもの」と持論を持つことは良い。
それも間違いなくひとつの論理であり、別に間違ってはいない。
しかし、持論は持論として、他者の別の論理も、それが複数の事実から帰納的に導き出されたのであれば、やはり同様に間違ってはいないはず。
だから『対話』が必要。
相手の論理を否定せず、「なるほど、確かにそういう論理もある」と考える。
この時点で、論理の引き出しが1個増えたことになります。
楠先生が、MBAをはじめとしたビジネススクール(慶應MCCもそうですね(笑))のケースメソッドを例に出されたのは、そのひとつの具体例でしょう。
そして当然それはビジネススクールだけでなく、日常のコミュニケーションにおいても当てはまります。
他者の論理を否定せずに、「それも論理としてありかも」と受け止める。
これができない人は、いつまでたってもセンスが鈍いままで終わるわけですね。


さらに言えば、『対話』とは対人以外でも可能です。
それは書籍であり、様々なニュースを伝えるメディアとも対話はできます。
単に読む・聴く・見るで終わらせずに、「問う」ことができれば。
この『問い』こそが対話の必須条件なのです。
相手が人であろうが、書籍やメディアであろうが。
新聞記事を読んで、「なぜこの事故は起こったのか?」「なぜこの会社はこの商品を出したのか?」と、その原因や理由を自分に問うてみる。
また、「この事故で今後どのような問題が起こり得るか?」「この商品はどのくらい売れるか?」と、その影響や結果を考えてみる。
そして「こういう理由/原因かも?」「こういう影響/結果になるかも?」と仮説を立てる。
これでまた論理の引き出しが増えるのです。


センスを磨く。
それは可能であり、そのためにも、常に対話を心がけたいものです。

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