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ファカルティズ・コラム

2014年01月31日

「話し合い」を4つに分けて定義する

ちょっと前の話になりますが、ある著名ブロガーがこう言いました。
「話し合って決める」というのは、お花畑的幻想だ。
「話し合えば、相手も自分の意見と同じになるはず」と思うのは傲慢だ。
話し合って決まるのは、「今回はどっちが意見を放棄しましょうか?」ということだけ。
だから自分は議論をしない。

いかがでしょう?
なかなか本質を突いた意見だと思います。
ただ、「決める」のは本当に「どちらかの意見を放棄させる」ことなのか?
また、話し合いは何かを「決める」ためにだけ存在するのか?
こう考えると、筆者が確信犯的に「話し合い/議論」を都合良く定義していることが見えてきます。
そこで今回は、この主張への反論ではなく、私なりの「話し合い」の定義を明確にすることで、私たちのコミュニケーションについて考えてみたいと思います。




さて、「話し合い」とは、相互に話すこと、つまり一方通行ではない「双方向のコミュニケーション」を意味すると言ってもよいでしょう。
私は、この双方向コミュニケーションは4つに分けられると考えています。


1. 雑談(chat)
要するに気楽な「おしゃべり」であり、何を話すかは事前に決まっていない。
その目的は「暇つぶし」や「相手のことを知る/理解を深める」ことで、話す内容そのものはさほど重要ではない。
久しぶりに会って、「おお、元気? 最近どう?」といったきっかけから、脈絡無く展開される。


2. 対話(dialogue)
雑談との決定的違いは、あらかじめ誰かから論点が提示され、それについて情報や考えを話すということ。
これは「ある情報を話したい」「自分の考えを聞いてもらいたい」、そしてそれに対して「相手からも情報を得たい」「相手の考えも聞きたい」から行うわけで、つまり情報や考えの「共有」こそがその目的となる。
そのため、事実誤認の訂正を除く、相手の考えの「批判/否定」は行われない。
「ねえねえ、○○の件なんだけどさあ」といったきっかけから、「話す/聴く/質問する」を相互に行う、ある意味「システム」として構成されている。
よって自分と異なる考えに対しては、「それはおかしい/違う」でなく、「なんでそう思う?」と質問することとなる。


3. 議論(discussion)
対話と同様、明確な論点があらかじめ提示されるが、対話との違いは、その目的として「共有」だけでなく、「決定」が不可欠な点。
よって自分の考えに正当性があると思えば、相手の考えを「批判」することも許されるが、そこでのポイントは、「相手を論破することが目的ではない」こと。
「でもさ、××の方が□□という点で良いと思うんだよね」といったお互いの主張をぶつけ合うが、誰かから、「あ、そうすると△△ってのはどう?」のような新たな考え、つまり触発を通した「三人寄れば文殊の知恵」が生まれるのが理想的。
よって必要以上に感情的にならずに、論理的に考え、話すことと、「批判はしても否定はしない」、つまり「どちらも間違ってはいない」と認めることが求められる。


4. 論争(argument)
議論との根本的な違いは、目的が「相手を論破する」である点。
口汚く罵る、ペナルティやインセンティブをちらつかせるなど、あらゆる手練手管を用いて、相手より上の立場に立つために行われる。
「だいたいお前は~」のような、論点のすり替えも技術のひとつであり、とにかく「勝つ」ことが最優先だが、本人は「勝ったぜww」と思っているだけで、相手からは「だめだこいつ、話通じねえ」と思われていることも多い。


いかがでしょうか。
なんか「悪魔の辞典」のような定義(笑)で申し訳ないのですが、なんとなくご理解はいただけるのではないかと思っています。
もちろん、ある話し合いが「雑談」からスタートし、「対話」→「議論」となって、いつの間にやら「論争」になっている場合もあるでしょう。


重要なのは、話し合いの前に「これから自分たちは、この4つのどれをやるべきか?」を明確にすること(プライベートの雑談除く(笑))、そして話し合いの最中では、「今、自分たちはこの4つのどれをやっているのか?」を考えることだと思うのです。
「共有」が目的なのか、それとも何かを「決定」する必要があるのか。
いきなり「議論」か、それとも「対話」から始めるべきか。

これらをちょっと考えるだけで、会議や打合せの進め方が見えてきます。
また、今行っている話し合いが、この4つのどれかを考えることで、
「共有を目的に対話していたはずなのに、いつのまにか論争になっている」
「そろそろ対話から議論に移った方が良いかな」

のような「次の進め方」のヒントも見えてくるはずです。


私は、この4パターンの「話し合いの定義」が正しいと言うつもりはありません。
しかし、こうして考えれば、より良い話し合いができる確率は上がると思いますし、「話し合いなんて時間の無駄」なんて考える人も減ると思うのです。

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