KEIO MCC

慶應丸の内シティキャンパス慶應MCCは慶應義塾の社会人教育機関です

2015年06月19日

「陳謝」から「感謝」へ

前回と同じようなタイトルで申し訳ありません(笑)
私は以前のエントリー『いつもカリカリしているあなたへ』でも書いたように、「エレベーターは最後に降りる」ようにしています。
おかげで少しは短気な性格が治ってきたように思います。
まあ、単にトシをとっただけかもしれませんが。
さて、そうして「譲る」ことを繰り返していたら、あることに気づきました。
それは、ほとんどの人が譲った私に対し、「すいません」と言って降りていくことにです。
「当たり前だろう?」と思われますか?



しかし、これは日本人に限った話なのです。
外国人の方は、ほとんど「Thank you!」と言います。
つまり、「すいません」でなく、「ありがとう」なわけですね。
今までのところ、「Sorry!」と言われたことはありません。
これはなぜなのでしょうか?
「それが日本人気質」と片付けるのは簡単ですが、もう少し考えてみましょう。
“謝意”で辞書を引くと、2通りの定義が出てきます。
—————————————————-
1. 感謝の気持ち。「御厚意に心から―を表します」
2. 自分の過ちをわびる気持ち。「―を表して辞任する」
              (デジタル大辞泉 より)
—————————————————-
そう、「ありがとう(Thank you)」と「すいません(Sorry)」のふたつの意味があるわけですね。
つまり、「ありがとう」と「すいません」は表現の仕方こそ違え、非常に近い感情の表明なのです。
先の「エレベーターで譲られる」を例に取れば、外国人は「うれしい。だから感謝の意を表す」ために「Thank you!(ありがとう)」と言うのに対し、私たち日本人は「うれしい。しかし相手に申し訳ないので陳謝の意を表す」ために「すいません(Sorry)」と言うと考えられます。
ここから、『思考が単純な外国人と、思考が複雑な日本人』とか、『利己的な外国人と利他的な日本人』という結論を出すこともできるでしょう。
しかし反対に、「だから日本人は面倒くさい」とか、「だから日本人は「何考えてるのかわかりにくい」と言われる」という結論を出すこともできるでしょう。
「日本人の民度は高い」とよく言われます。
災害時でも整然と行動したり、また滅多なことでは暴動や略奪なども起きません。
とは言え、これは近代においてであり、様々な文献からもわかるように、以前の日本人はかなり傍若無人で民度が低かったわけですが。
もちろん全ての国民というわけではありませんが、現在の日本人は基本的に「他者に迷惑を掛けることを極端に嫌う」民族であることは確かでしょう。
それが、ことあるごとに「すいません」と言い、お辞儀をする習慣に表れていると考えられます。
では、なぜ私たちは「他者に迷惑を掛けることを極端に嫌う」ようになったのか。
たぶんその背景には、国家の教育制度があるように思いますが、現時点では単なる仮説なので、一度機会を見て調べてみたいと思っています。


さて、その敬意はさておき、私はこの「他者に迷惑を掛けることを極端に嫌う」日本人気質について、「良い面もあるが悪い面もある」と考えます。
確かにこれは社会の秩序という観点ではプラスに働きます。
しかし反面、これは「必要以上に周りの目を気にする」こと、そして「不要な遠慮」「出る杭を打つ」ことに繋がっているのも確かでしょう。
ちょっと大げさかもしれませんが、日本発のイノベーションが起きにくくなっているのも、この日本人気質に由来するとさえ言えないでしょうか。
だからできるところから変えませんか?
具体的には、誰かに謝意を表すとき、「すいません」でなく、「ありがとう」と言うようにしませんか?
ちょっと考えてみてください。
あなたは、他者から「すいません」と言われるのと、「ありがとう」と言われるのと、どちらが嬉しいですか?

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