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慶應丸の内シティキャンパス慶應MCCは慶應義塾の社会人教育機関です

2015年06月26日

その考えは、本当に「対立」しているのか?

「高⇔低」や「大⇔小」、そして「ハード⇔ソフト」のように、世の中には様々な二項対立の関係と見なされる「対概念」が存在します。
「質⇔量」も同じですね。
「味よりたくさん食べられる方がいい」「いやいや、やっぱ美味しくないと」といった会話は、「質と量、どちらを取るか」を論じており、やはりこのふたつが対立する概念であることを示しています。
しかし一方で、「量が質を生む」のような言葉もあります。
ではここで思考トレーニング。
この「量が質を生む」とは、どういうことなのでしょう?
この言葉は何を意味しているのか、それを具体例も交えて説明してみてください。





さて、あなたの答は?
議論の一形態であるブレストにちょっと詳しい方なら、これに答えるのはさほど難しくないでしょう。たとえばこんな感じに。
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宝くじを1枚しか買わないのと、100枚買うのとでは、どちらがより「当たり」が期待できるか。
考えるまでもなくそれは100枚買う方であり、これは純粋に確率の問題だ。
つまり、「質の高いX」は、「大量のX」の中に存在する確率が高い。
ブレストでまさに「量が質を生む」と言われるのも同じで、要するに「たくさんのアイデアを出せば、その中に良いアイデアがある確率が高くなる」のだ。
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ひょっとして、理系の方ならこんな別の説明を思いつくかもしれません。
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「量が質を生む」とは、「なんらかの特性(質)は、数値(量)で表すことができる」ということを意味する。
たとえば「赤い」という色彩の質は、RGBでは「237. 26. 61」という数値(量)で表現できる。
また、「しょっぱい」という味覚の質も、塩分の量で数値的に表すことができる。
このように、全ての質は数値、つまり数学的に表現できるため、「量が質を生む」と言えるのだ。
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いかがでしょう。
別に正解があるわけではありませんが、それぞれ「なるほど」と言える回答です。

こうして考えてみると、「対概念」とは、一概に「お互いに相容れない二項対立の概念」とは言い切れないことがわかります。
全社の答は、「対立の関係」というより「因果関係」や「相乗の関係」が、後者の答からは「補完関係」があることが見えてきます。


さて、実はこれこそ、ヘーゲルやマルクスの「弁証法」における基本概念です。
マルクスの盟友であったエンゲルスは、著作『自然弁証法』において、その原則を3つ挙げています。
1. 「量から質への転化、ないしその逆の転化」
2. 「対立物の相互浸透(統一)」
3. 「否定の否定」
あまり小難しい話をしても仕方ないので、ここでは哲学的な解説は省略しますが、要するに「思考や議論において、一見対立しているように見える考えを、対立でなく因果や相乗、補完の関係にあるのでは? と考えると、新しい答が見えてくる」ということです。
たとえば、「効果と効率のどちらを優先すべきか?」も間違ってはいませんが、そこで「効率を上げることで効果も高まるのではないか?」と考えてみる。
実際、「仕事を効率化することで、より時間を掛けるべき仕事に時間を割けるので、その仕事(アウトプット)の質が上がる、つまり効果が出る」というのはよく言われる話です。
他にも、「ハードとソフトのどちらに注力するか?」から、「ハードの質を上げることで、より質の高いソフトにならないか?」と考えることもできるはずです。


私たちは、しばしば議論において「対立」を目にします。
それは建設的な議論を阻害したり、さらに感情的な対立にまで発展します。
また、これは議論の場面だけでなく、個人の思考でも同様です。
「どちらの意見に賛成すべきか?」「どっちを優先するか?」などは、異なるふたつの考えが「対立関係にある」と思うことによって生じる「悩んでいる状態」です。
だからこう考えてみましょう。
「これらの考えは、本当に対立しているのだろうか?」
「ひょっとすると、因果や相乗、補完の関係とも言えるのでは?」
こうして弁証法的に思考できるようになれば、きっと「第三の道」が見えてきます。




・・・・・・政治の世界でも、是非お願いしたいところですねえ。

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