KEIO MCC

慶應丸の内シティキャンパス慶應MCCは慶應義塾の社会人教育機関です

2015年10月02日

オトナのふるまい

本日は、ビジネススキルとはちょっと別のお話。
Facebookで以下の記事がシェアされていました。
『「1850便、座席番号16Cのパパへ」 このメッセージがフェイスブックで7万件のLIKEを生んだ』
自閉症を持った3歳の娘と飛行機に乗ったお母さん。我が子がおとなしくしておいてくれるように、そして「どうか隣に座る乗客が優しい人、もしくは我慢強い人でありますように」と彼女は祈っていました。
しかし娘さんは隣に座ったビジネスマンの男性を「パパ」と呼び、遊んでくれるようにせがみます。お母さんは頭を抱えたことでしょう。
ところがその男性は一度取り出した書類をしまい、娘さんとフライトの間中遊んでくれたそうです。
お母さんはその男性に感謝し、Facebookに投稿したところ、一日で7万件の「いいね!」を記録したそうです。
なんとかっこいい男性でしょう。
私ももちろん「いいね!」を押しました。そして50年近く前のあるできごと、そのときの父親の姿を思い出していました。





当時の我が家は決して裕福ではありませんでしたが、月に一度は家族で外に晩ご飯を食べに行っていました。
ある日訪れた食堂。座敷に通された私たち家族が食事を始めて少したった頃、小さな女の子(記憶が曖昧ですが、たぶん3~4歳)が、私たちのテーブルにトコトコと歩いてきました。
女の子は、その食堂の娘さんでした。
そして彼女は、紹介した記事の女の子と同様、なんらかの精神疾患を抱えていました。
彼女は無邪気にも、私の父親と母親に話しかけます。
はしゃいでいる様子なので、落ち着いて食事をとれる状況でもありません。
当時7~8歳だった私は、正直言って不快な気分になりました。
「お店の人が、早く連れて行ってくれないかなあ」と願いました。
しかし、私の父と母は、まったく嫌な顔をしていません。
それどころか、「おお、そうねそうね」(ちなみに宮崎弁です)と笑顔でその女の子の相手をしています。
さらに父は、甘えてきたその女の子をあぐらをかいた自分の膝の間に座らせました。
女の子は、とても嬉しそうです。
しかし私はますます落ち込みました。父親の膝の間は、私と弟のものだと信じていたからです。
でも、文句は言えませんでした。
たぶん、心の中では自分の親のふるまいが「正しい」とわかっていたのでしょう。
それからしばらくの後、ようやくお店の人が気づいてくれました。
「申し訳ありません!」と私たちに謝りながら、その女の子を店の奥に連れて行きます。
私の父は、「いえいえ。もぞらし(かわいい)ですねえ」とやはり笑顔でそれに応じていました。


その父も今はもういません。
父とはぶつかることも度々ありましたが、やはり「かっこいい」男でした。
記事の男性、そして私の父親。
彼らのこうしたふるまいこそ、「大人のふるまい」ではないでしょうか。
「他人に迷惑をかけない」。確かにそれは大切です。
しかし、他人に迷惑をかけたことがない人などいません。「お互い様」なのです。
特に「こどものやったことは大目に見る」。それがオトナだと思いませんか?
また、「大変そうな人を助ける」のもお互い様であり、それもオトナのふるまいだと思いませんか?
それなのに、ベビーカーに乗ったこどもをなぐる「自称オトナ」がいる。
言語道断です。
「できるだけ自分の子供が周りに迷惑をかけないようにする」のは親の当然の責任ですが、それにも限界があります。
周囲が子供とその親をサポートする。
それが常識の社会にならなかったら、少子化を止めることなど不可能です。


さらに一般化して考えれば、「オトナ」とは大目に見る、つまり「赦す(ゆるす)」ことができるヒトや民族、そして組織に対して与えられる形容詞なのかもしれません。
あなたは「オトナのふるまい」ができていますか?
あなたの部署は、そして会社や国は、「オトナの対応」ができていますか?

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