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ファカルティズ・コラム

2016年03月15日

「保育園落ちた日本死ね」騒動に関する一考察

はてなブログでのエントリーが拡散し、話題になっている「保育園落ちた日本死ね」騒動については、本ブログの読者である皆さんは先刻ご承知のことと思います。
この騒動は「国会でまで取り上げられ」→「国会内外での首相と与党代議士の発言が炎上」→「国会前でのデモ」にまでなってしまいました。←イマココ
本日はこの騒動について取り上げてみようと思うのですが、私は「待機児童問題」を考察するつもりはありません。
それについては感情論から経済論まで、様々な人が様々な意見を述べており、ここで私の見解を示す必要はないからです。
よって、私の論点はふたつ。
まず、「言い方が汚い」と批判されている「保育園落ちた日本死ね」の『文体』について。
そしてこれまた批判の根拠となっている、このエントリーが『匿名で書かれている』点についてです。






では、『文体』から考えてみましょう。
私は、「文体が汚いから云々」という意見には、全く賛同しません。
いやむしろ、このエントリーは、「死ね」だの「じゃねーのかよ」といった感情的・攻撃的な文体だからこそ、これだけ話題になったわけで、つまりこの文体で「大正解」なのです。
何かを外に向かって主張する。
その目的はひとつ、「状況の変化」です。
人が動き、何かが変わらない限り、主張は無意味。
もちろん、ただのストレス発散なら別ですが、ネットを通じて発信するということは、多かれ少なかれ、この「状況の変化」が目的でしょう。
であれば、主張の「内容」とともに、人を動かすポイントである「伝え方」が重要となり、伝え方の一部である「語り口」に目を向ける必要があります。
「保育園落ちた日本死ね」のエントリーは、攻撃的・感情的な文体だからこそ、「そうそう、私も文句言いたい!」という共感や、「言葉遣いが汚くて不快だ」という反感を抱かせる。
だから賛否両論となり、大きな波となったのです。
感情は伝染します。筆者がそこまで計算し、この文体を選択したとしたら、なかなかの策士と言えるでしょう。
ということは…
はい、もうお気づきですね。
私たちも、何かを主張するときは、書き言葉、話し言葉を問わず、この『文体』に注意する必要があるということです。
◆相手に反感を持たれない文体は?
◆相手に共感してもらえる文体は?
◆あえて反感を持たれる文体にすべきか?
などなど、目的である「状況の変化」に対して、最も成功確率の高い文体を選択すべきでしょう。
しかし、言葉を操るプロのはずの某大作家までが、このエントリーに対して「文章の薄汚さ、客観性のなさを見ていると、私は日本人の日本語力の衰えを感じる」とか言ってるのを見ると、「美しい表現」と「状況を変える表現」の区別がついていない人が多いことがわかります。
ますます、コミュニケーションにおける戦略の必要性を感じますね。


さて、続いてもうひとつの論点である『エントリーの匿名性』についても考えてみましょう。
結論から言うと、「匿名だからダメ」という発言や、「匿名だから軽視してもいい」という姿勢の政府及び与党の見識の無さには呆れるばかり。
「そもそも本当に女性が書いたのか」という発言に至っては、「この期に及んで!」という驚きすら感じます。
ああ、まだまだこの国のリーダーたちの情報リテラシーは低いなあ。
と、ため息が出ます。
侍の真剣勝負じゃあるまいし、実名で、つまり「所属と名前を名乗ってから」に、何の意味があるのでしょう。
待機児童問題は以前から話題になっており、そのために働きたくても働けないお母さんがたくさんいることは周知の事実。
匿名かどうかなど、この場合は何の意味もありません。
「実名」を求めること自体が、時代錯誤であることを認識すべきでしょう。
また、匿名掲示板での書き込みから個人を特定し、逮捕者が出ているのも事実ですから、そもそも真の匿名など存在しませんし。
というか、「実名」「匿名」の選択は、個人の自由。
実名と匿名、どちらの方が自分にとって利が多いか、あるいはリスクが低いかで、発信する本人が判断すれば良いのです。
私がこのブログだけでなく、TwitterやFacebookでも実名を使っているのは、単純にマーケティング的な観点で、そちらの方がメリットが多いと判断したからです。
情報の信憑性の点で、実名の方が事実である確率が高いのは確かでしょうが、それも「確率的に」であって、匿名が全部ウソで、実名が全部真実であることを保証してはくれません。
「いや、名乗るのが常識だ。マナーの問題だ」と言いたい方もいるでしょうが、常識やマナーも時代と共に変わります。
そろそろ、「実名=○/匿名=×」という常識も変えていいのかもしれません。
もう一度言います。
実名か匿名か、それは法律などで規定されていない限り、発信者が自由に選択すれば良いのです。
しかし当然、自由にはリスクとデメリットもあります。
だからこそ、私たちは「主張の目的と内容、そして発信後の影響をしっかり考えた上で」実名か匿名かを選択する必要があります。
決して安易に実名で発信したり、また、匿名だからと言って何でも言って良いわけではないことを、肝に銘じるべきでしょう。

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