2016年03月24日
【哲学してみよう】言語は道具でしかないのか?
フランスにおける大学への入学資格を得るための国家的な統一試験である「バカロレア」では、文系/理系を問わず、「哲学」の問題が出されるそうです。
哲学といっても、別に哲学史や誰かの思想について、その知識が問われるわけではありません。
たとえばある年では、「言語は道具でしかないのか?」という問いが出されました。
もちろん、この問いに唯一の正解などありません。
重要なのは、この「正解のない問い」に対して、自分の頭で考え、自分の言葉でわかりやすく論ずることができるか。
これこそ「哲学する」という行為であり、これを面倒くさいと思わず繰り返すことで、論理的思考力が鍛えられます。
では、せっかくなので皆さんもこの問い、「言語は道具でしかないのか?」について考えてみてください。
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さて、このような抽象的「概念」について考えるとき、まずやるべきことがあります。
それが「言葉の定義」。
今回の問いであれば、「言語」と「道具」という言葉を、「ここではこういう意味で使います」という前提条件を明らかにしておかなければ、主張の受け手に理解してもらいにくくなります。
「この人は、何を「言語」ととらえているのだろう?」と疑問を持たれるのはまだ良い方で、この定義をしっかりやっておかないと、定義の異なる相手から「いーや違う!」という不毛な反論まで招きかねません。
「言語」と言っても、日本語や英語のような”language”と定義することもできますし、絵や写真のような、誰かに何か伝えるためのイメージも含めて「言語」と定義しても、それは決して間違っていません。
それこそ北朝鮮の、「ミサイル発射」という行為も、「舐めるなよ」というメッセージを伝える「言語」と見なすことができるはずです。
実のところ、会議で「話がどうもかみ合わない」とか「意見が真っ向から対立する」原因のひとつが、この『言葉の定義の違い』です。
不毛な話し合いを避けるためにも、私たちは「言葉の定義」をしっかりやるべきなのです。
では、本題に戻りましょう。
言葉の定義を明確にし、私なりに考えると、以下のような主張となります。
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「言語は道具でしかないのか?」
この問いに答えるために、まず「言語」の定義からはじめたい。
ここでは、日本語や英語といった”language”に加え、絵や写真、そして行動のような可視化された視覚情報、および音楽や話すときの声のトーンといった聴覚情報も、広義の「言語」とする。
さて、その前提に立ったとき、言語は道具でしかない。
なぜならば、話し言葉や書き言葉として使用される様々な言語、そして前述の視覚/聴覚情報も含めた「言語」は、すべてそれを駆使する人間が、なんらかの目的を持って活用しているからだ。
たとえばそれは、目の前で起こっている事実や個人の意見・想いなどを「誰かと共有する」目的であり、またそれによって「誰かを説得する」目的だ。
つまり、言語は何らかの目的を実現するための「手段」なのだ。
そして「道具」とは、この「手段」以外の何ものでもない。
何かを作るとき、何かをやるとき、私たちはそれを効果的・効率的に行うために様々な「道具」を使う。そこには必ず目的、つまり「やりたいこと」がある。
これらのことから、「言語」もまた「道具」以外のなにものでもない。
自分の近況や想いを誰に「伝える」目的で、我々は手紙という道具を使い、手紙を「書く」ための道具として「言語」を使う。
相手をにらみつける。その表情や目もまた「言語」であり、これらも自身の怒りを伝える道具だ。
書道によって書かれた文字も、自身の芸術性を表現する道具のひとつであり、北朝鮮のミサイル発射という情報もまた、「わが国を舐めるな」というメッセージを伝える言語であり道具だ。
されらに言えば、「独り言」の中で語られる言語も、自分の頭を整理するための道具であり、失敗して叫ぶ言語も、ストレス発散という目的を持った道具なのだ。
このように、「言語」は必ず目的を持って使われる。
つまり、「言語は道具でしかない」のだ。
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いかがでしょう。
もちろんこれは正解でもなんでもありません。
あなたもぜひ、思考トレーニングとして自分なりに考えてみてください。
さて、最後に答え、つまり思考の結果出てきた自分の主張の「伝え方」にも触れておきましょう。
主張は相手が同意してもらわないと意味がありません。
そして同意してもらうための前提条件が、理解してもらうこと、つまり「わかりやすく伝える」ことが必要なのは言うまでもありません。
その「わかりやすさ」のポイントのひとつが、先に述べた「言葉の定義」ですが、それに加えて、「森を語った後、木を語る」ことも重要です。
抽象論や概念論、つまり「森の話」に終始していては、どんなにもっともらしく聞こえても、「なるほど」と膝は打てません。
反対に、細かい具体例だけの「木の話」だけでも、相手は「要は?」と疑問を抱くだけです。
だから抽象論(森の話)と具体論(木の話)は、できるだけ「セット」で伝えましょう。
それも「まず森を語り、次に木を語る」と徐々に具体的に語った方が、「腹に落ちる」伝え方になります。
上記の私の例文も、そういう構成になっているはずですので、その点も参考にしてみてください。
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福澤 克雄
(株)TBSテレビ コンテンツ制作局ドラマ制作部、演出家・映画監督
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