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ファカルティズ・コラム

2019年01月28日

今どきの若いモンは

「今どきの若いモンは」
このセリフ、皆さんも言われた/言った経験があるのでしないでしょうか。
もちろん文脈としては「なってない」「わかってない」「けしからん」的なニュアンスで。
さて、「これは既にパピルスに同様の記述が見られる」とか「エジプトのピラミッドの内壁にも書かれている」そして「プラトンも同じことを言っている」というなかば都市伝説のごとく語られているこの言葉ですが、どうもフェイクのようです(笑)
本エントリーを書くにあたり調べてみると、証拠となるようなものはどこにもないようです。
プラトンも確かに若者批判はしていますが、同時に老害批判もしていますから。
とは言え、自分自身の40年程度の過去を振り返るだけでも、やはりいつの世も「今どきの若いモンは」と言う人は多いと推察されます。
しかしこの言葉、「なってない」「わかってない」「けしからん」といったネガティブな文脈でしか使えないのでしょうか?
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Twitter発で話題になっている漫画に、まさに『今どきの若いモンは』があります。
この作品に出てくる上司、石沢課長も部下にことある毎に「ったく、今どきの若いモンは」と言うのですが、その後に出てくる言葉が
「真面目に働きすぎなんだよ」
「新しいモン、すぐに使いこなせてスゲェよなあ」
「タイヘンだよなあ」
「気ぃ遣いすぎなんだよ」
「一人で抱え込みすぎだ。手伝わせろよ」
なのです。
そしてそれを聞いた部下は「か…かちょおおおお!!!!」となるのですが、さて、こう言える上司はどれくらいいるのでしょうか。


そもそも、私を含めた「社会人としてのベテラン」は、なぜネガティブな文脈で「今どきの若いモンは」と言ってしまうのでしょうか。
そう、自分の経験がその背景にあるのは間違いありません。
自分は文句も言わずにやってきた。
理不尽な上司や顧客の要求にも従ってきた。
そのためにはプライベートも犠牲にしてきた。
時には他者を蹴落とすようなこともやってきた。
しかし、それが当時は「アタリマエ」だった。
そうした経験から「仕事とは」「社会人とは」「男とは」「女とは」…「○○するのが常識」という演繹的論理展開における『前提条件(ルール)』が形作られたのです。
しかしその「○○するのが常識」は、果たして今でも『常識』なのか?
ひょっとするとそれはもはや過去の常識であり、今は常識として通用しないのではないか?
これこそが『固定観念』であり、誤った判断を誘発しているのではないか?
こうして「自分自身の常識を疑う」ことが私たちベテランには求められている。
特に現代は制約が多い。昔は咎められることのなかった何気ない言動が「ハラスメント」認定されますし、ネットでの不用意な発言もすぐ炎上します。
そこで「そんなことぐらいで」と言っても始まりません。
「常識」が変わったのです。
また、他者との関係性・コミュニケーションという面だけでなく、この固定観念はデメリットを生みます。
組織や社会の変革、イノベーションを妨げるのです。
「この業界はそういうもの」「消費者とはこういうもの」「組織とはこういうもの」という過去の経験から形作られた固定観念が、変化に抗ったり、斬新なアイデアを否定する「負のパワー」となります。
だから「常識」を疑いましょう。
まずは自分が判断の前提条件としている常識を洗い出してみましょう。
そして次に、そうした常識がどのような経験から形作られたのかを思い出してみましょう。
そうすると、今でも通用する常識と、通用しない常識が見えてきます。
このプロセスで自分の『固定観念』を壊す。
そうしたら石沢課長みたいな上司になれる…かも?(笑)

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