ファカルティズ・コラム
2007年11月16日
“KY”から“AKY”へ
今年の流行語大賞にも選ばれる勢いの“KY「空気読めない(ヤツ)」”。
この言葉、単にイマドキの若者達の省略言葉というだけでは、ここまで話題にならないはずです。
思うに、この『空気を読む』ということの意味や方法論について、我々に再考を促す言葉だから、ここまで話題になっているのではないでしょうか。
そしてその『空気を読む』という行為が、我々のオン/オフ全てのコミュニケーションで重要だからです。
そもそも『空気』とは、そしてそれを『読む』とはなんなのでしょう。
個人的な定義ですが、『読む』とは様々な情報から自分なりの解釈を組み立てることであり、帰納的論理展開の基本となる活動だと考えています。ですから、読む対象は本やメールのような文章だけでなく、数字の羅列であるデータや相手の心情・次の一手など、過去から現在、未来のことまで、様々なモノゴトが対象となります。
そして読む対象としての『空気』とは、自分が存在するその『場』に吹いている風であり、満ちているニオイ・エネルギーであり、全体の温度・湿度・照度・重量だと思うのです。
つまり読むべきなのは「風向き」であり、「満ち具合」であり、「場の明るさや重さ」達なのです。
もちろん上記はメタファーですから、現実的にそれらを読むためには、具体的な情報が必要になります。たとえば会議であれば個々の言動であり、その時の口調や声量・表情・しぐさ、および周囲の人々の表情やしぐさといった、言語・非言語情報にアンテナを張ることで読むしかありません。
小難しく言ってますが、我々は無意識的にそれを行っています。
そして空気を乱したくなければ、他人の意見に同調したり、自分も同じ論点で話したりします。
ところがこのアンテナの張り方が悪い(方向が間違っていたり高いところに張りすぎたり)と、空気が読めない発言をしてしまう。
これがKYです。
会議において“問題児”と呼ばれる人々。たとえば威張りちらしたり、すぐ粗探しをしたり、突拍子もないことばかり言ったり、勝手に論点を変えたり、といった人がなぜこうした問題行動を取るかと言えば、ほとんどが“KY”だからです。
しかし、「空気を読んだ発言」がすべて良いわけではありません。
それは時に「単なるお調子者」や「イエスマン」の形で現れます。
また、国民全体が空気を読みすぎると、それは全体主義や戦争、虐殺という忌むべき事態にも繋がるのです。
ですから時には、「空気を読んだ上でその空気を乱す」ことも我々には求められます。
会議で皆が「それでいいじゃん」となっている時に、「やっぱりオカシイよ」と言うこと。
教室でイジメが広がりつつある時に、「やめようよこんなこと」と言うこと。
最近、KYの派生系で“AKY「あえて空気読まない」”というのがあるそうです。
この“AKY”が必要なシーン、たくさんあると思いませんか?
しかし“AKY”ってスゴイなあ。さすが女子高生! 日本の未来は明るいぞ。
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