KEIO MCC

慶應丸の内シティキャンパス慶應MCCは慶應義塾の社会人教育機関です

ファカルティズ・コラム

2008年01月25日

冷たいヒトコトの裏にあるもの

カラヤンと並ぶ20世紀の名指揮者である、レナード・バーンスタインをひとりの若者が尋ねてきたそうです。そしてこんな会話がなされたとか。
(以下「若」=若者,「バ」=バーンスタイン)
若:「私も指揮者になりたいのですがどうでしょうか」
バ:「無理だね」(冷たく)
若:「どうしてですか?私には指揮者としての才能がないのでしょうか」
バ:「君の才能のことなど知らんが、私にそのような質問をしたからだよ」

さて、「私にそのような質問をしたからだよ」とはどういう意味なのでしょうか。
これが本当に「君には無理」の理由なのでしょうか。


※以降いちクラシックファンとして、バーンスタインの愛称である「レニー」で呼びたいと思います。
突然訪れた若者への答として、「わからない」と言うならまだ理解できます。彼の実力をレニーは知らないわけですから。
しかし答は完全な否定である、「無理だね」でした。
ひょっとして寝起きで機嫌が悪かったのかも、とも思いました(笑)が、それにしてもその後の「私にそのような質問をしたからだよ」の意味がわかりません。
思うに、レニーが言いたかったのは、
「指揮者になれるかどうかを訊くということは、自分に自信がないということ。今からそんなことではダメだ。それに『なれる/なれない』は人に決めてもらうことか? 大事なのは自分が『絶対なる』と決めることではないか」
ということではないでしょうか。
私もこういう仕事をやっていると、「僕も講師をやってみたいのですができますかね?」とか、「コンサルタントになりたいんですが、どうですかね?」と訊かれることがあります。
私はもちろん、レニーとは比べものにならないほどの小物(笑)ですから、そんな時には「今後の経験と学習しだいでしょう。頑張ってくださいね」と言うことが多いです。
しかしこうも付け加えます。
「社会人教育の講師(コンサルタントも同様)なんて、資格があるわけじゃありませんから、明日からでもなれますよ。自分で宣言するだけですから。ただ、それで明日から食えるかどうかは別ですが」
私の友人は、コンピューターのプログラマーだった頃から、「将来は社長になる」と飲み会の度に語っていました。
まあ飲み会で夢を語るくらいなら、誰でもやっているでしょう。
しかしそんな彼は、今や某有名企業の執行役員です。
(私より若いのに!)
着実に有言実行の階段を上っています。
確かに運もあったでしょう。
しかし紛れもなくこの結果は、彼の誠実な頑張りの賜です。
元がエンジニアの彼は、経営やビジネススキルは確かに体系立てて学んでいません。
独学で学び、飲み会の席で私にもガンガン質問してきます。
私はそんな彼を誇りに思っています。
「○○になりたい」と想うことは誰にでもできます。
重要なのはそこから、「なる」と決めること。
そして「今すぐになれないのはなぜか」と考え、課題を設定すること。
そうしたら後は課題の解決策を考え、その策をいつやるかを決めて確実に実行するだけです。
つまり、何かに「なる」のも、仕事上の問題解決となんら変わりません。
それなのになぜ我々は、それを「やらない」(「やれない」でなく)のでしょう。
これは私に対しての問いでもあります。

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