KEIO MCC

慶應丸の内シティキャンパス慶應MCCは慶應義塾の社会人教育機関です

ファカルティズ・コラム

2008年02月07日

“場”の考察

昨日、毎年恒例のHRDジャパン(日本能率協会主催の人事・人材開発のフォーラム)に、半日だけ参加してきました。
参加したのは「社員の絆を深める場づくり」というテーマのセッションで、そこではアルプス電気とテイクアンドギヴ・ニーズという2社の事例が紹介されました。
アルプス電気は社内コミュニケーションの活性化を目的に、全社イベントとして14年ぶりに運動会(海外拠点からも参加)を復活させたという事例でした。
こうしたケースでは、イベントそのものに注目が集まりがちですが、実はイベント開催までのプロセスが、社内コミュニケーションの活性化に大きく寄与しているとのことで、やはり会議におけるファシリテーションと同様、プロセスデザインの重要性を強く感じました。
テイクアンドギヴ・ニーズの事例では、納会や社員旅行など様々なイベントを通して、価値観の共有をはかることの重要性が語られました。
ウェディング・ビジネスという領域においては、何よりも「人の心と人生を豊かにする」という企業理念と、それを最優先する価値観が重要。しかしそれを共有するには、マニュアルや研修でいくらやってもダメ。だからイベントという器の中で体感させるしかない。
という強いメッセージが伝わってきました。
また、実はそうした(著名タレントも毎回呼ぶ)イベントの参加者となることが、お客様の心理とプロのあるべき姿を知るための、能力開発の仕掛けでもある、という点も見逃せないところです。
さて、これらの事例から、組織および専門であるファシリテーションについて、“場”というキーワードで私なりに考えてみたいと思います。


伝統的な“場”の定義として、「自他非分離の状態」が言われています。
フライパンは単なる器であって、それだけでは“場”ではありません。しかしそこに2つの卵が割られると、黄身は2つのままですが白身はひとつに混ざり合います。これが“場”がつくられた状態です。
つまり個人(黄身)はしっかり独立した存在でありながら、他者(別の黄身)と何か(白身)が共有され、一体化した(自他非分離)状態が“場”なのです。
たとえば、エレベーターに見知らぬ者同士で乗り込んだだけでは“場”ではありません。
しかしそのエレベーターが、途中で停止して閉じこめられてしまったら?
そこでは間違いなく不安感や危機感が共有され、「みんなでなんとかしよう」「一緒に救助を待とう」という連帯感も共有されるかもしれません。
これが“場”がつくられた状態です。
では、組織において、この“場”が無かったら(つくられなかったら)どうなるでしょう。
個人は指示を待ち、それを淡々とこなすのみ。これでは機械と同じです。
また他人のミスが連鎖して自分に降りかかっても、「俺のせいじゃない」という責任の押し付け合い。これでは非効率的かつモチベーションも上がるわけがありません。
しかしこのような「“場”がつくられていないことによる問題」は、皆さんの組織でも多かれ少なかれ存在するのではありませんか?
さて、アルプス電気やテイクアンドギヴ・ニーズの取り組みは、『イベント』による“場”づくりの事例であったわけですが、ここで「では我が社もイベントで・・・」ではまずうまくいかないでしょう。
なぜならば、状況や社風は業種や企業で個別ですし、予算との兼ね合いもあります。
しかし一番重要なのは、“場”をつくる目的であり、その“場”で何を共有するかです。
「卵いくつも使って何を作る?」
「白身はなんなんだ?」
ということですね。
目的はアルプス電気のようにコミュニケーションの活性化?
それとも業務の効率化? 新規事業の創出? etc…
共有すべきはテイクアンドギヴ・ニーズのように価値観?
それともCSRに対する問題意識? 今後の商品開発の方向性? etc…
そしてこの“場”はイベントだけではないはずです。
我々にはもっと身近な・・・そう、“会議”があります。
会議でも、個別の報告がいくつも続くだけでは“場”ではありません。
また、好き勝手に持論を述べるだけでも“場”はつくられていません。
会議の目的は?
その会議で何を共有したいのか?

まずそこから考え、会議をちゃんとした“場”に変えていくことが必要なのではないでしょうか。
そしてそれは・・・どんな組織でも可能なはずです。

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