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慶應丸の内シティキャンパス慶應MCCは慶應義塾の社会人教育機関です

ファカルティズ・コラム

2008年02月22日

“数の論理”に逃げない

仕事でも私生活でも、誰かからクレームをもらった経験は誰しもあると思います。
その時にこんな反論をしたことはありませんか?
「他の人からは、そんなこと言われたことありませんけど」
この反論、“数の論理”で相手を黙らせようとしているのは明白です。暗に「そんなクレームを言う方が少数派だ。だからあなたの言い分はおかしい」と言っているに等しいわけですね。
しかし、クレームをつけた方にとっては、「他人がどうかなんてことは関係ない」はず。
ですから、こういったケースでは、さらに話がこじれてしまうことが多いのです。
数の論理に頼って聞き耳を持たないことに対して、さらに不信感を持ってしまうわけです。
かえって、「他の人は我慢しているだけだ!」と言われてしまったらどうしますか?
このように、実は意外と“数の論理”が通用しない場面は多いのです。


確かに多数決など、数の論理が必要な場面はあります。
ただ、数の論理に頼るのは、『その方が効率的だから』に他なりません。
「全員の意見を聞いて、根気強く話し合ってコンセンサスを得る」には大変な時間と労力を要するため、多数決で手っ取り早く決めるだけなのです。
前述のクレームのように、たとえひとりだけが主張していても、それが本当にひとりだけが感じた不満かどうかはわかりません。
また、マーケティング調査でなんらかの傾向が見えてきたとしても、調査対象の選定に問題があれば、そのデータを安易に信頼するのは危険です。
だから数値データそのものがいかに真実だとしても、それに基づいた考察や判断が正しいという保証はどこにもないということを、我々は肝に銘じるべきなのです。
また数値データは、あらかじめセグメンテーションされた目に見える事象の数を数えたものに過ぎません。よってそこから人間の感情を正確に推測することは不可能です。全く同じ行動をしていても、その際に人が感じていることは千差万別ですから。
特に感情が介在するコミュニケーションにおいては、この数の論理を振りかざすことはあまり得策ではありません。
上司にもの申す時に、「みんなそう言ってます」では、言うことのリスクを分散しようとしているのはちょっと賢い上司なら見抜きます。そしてその腰の引けたところを、「で、お前は本当にそう思ってるのか?」突いてきますし、なによりそんな弱気な部下は信頼してくれなくなります。
ですから、こうした場合は「みんな言ってる」という数の論理に逃げるよりも、「私はこう思います」と一人称で語る方がかえって本気度が伝わります。(とは言え、相手が数の論理に弱い風見鶏タイプの上司なら、「みんな言ってる」の方が効果的です(笑))
こうした「みんなが~」「我々が~」でなく、「私が~」という一人称で語ることを、『アイ・ステートメント』と呼びます。
数の論理に逃げず、“アイ・ステートメントで発言に責任を持つ”という姿勢が、人を動かすことも多いのです。
たとえば友人からCDを奨められた時に、
「これ、最近流行ってるから聴いてみて」
と言われるのと、
「これ、すっごく良かったから聴いてみて」
と言われるのと、どちらの方が聴きたくなりますか?







えっ?
「流行ってるから聴いてみて」の方ですか?
うーん、個人の選択を否定はしませんが、もう少し主体性を持った方が・・・・・・(笑)

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