KEIO MCC

慶應丸の内シティキャンパス慶應MCCは慶應義塾の社会人教育機関です

ファカルティズ・コラム

2008年07月04日

心に届くタイミング

皆さんの中には、部下や後輩を指導することも業務のひとつ、という方も多いでしょう。また、親として我が子の指導に頭を悩ませている方もいるでしょう。
今回は、そうした部下・後輩・子供をどういうタイミングで指導するか、について考えてみたいと思います。
ひと月ほど前になりますが、我が家でこんなことがありました。
娘はその日部活のコンクールでした。
疲れて帰ってきた彼女ですが、コンクールではベストが尽くせたということで、妙にハイテンション。
「今日までどんなに大変だったか」を、私たち両親に話しています。
自分でもハイになっているのを自覚しているようで、帰宅する前、駅で同じ部の友達とかなり騒いでいたことまで、楽しそうに報告します。
そうしたら、ここで母親(私の妻でもありますが)が口を挟みました。
「駅で騒いじゃダメでしょ? 登下校中に騒がないようにって先生もおっしゃってたよね?」
娘の顔がとたんに不機嫌になります。
私は笑いながら言いました。
「ママ、それはKYだよ」

問題点を指摘することは、人(部下であろうが我が子であろうが)を育てるプロセスには必要不可欠です。
自分自身を客観視するのは難しいですから、やはり周りの人がフィードバックし、指導してあげなくてはなりません。
しかし、その指導をどのタイミングで行うか、これは実に難しい問題です。
駅で騒いでいた娘に対する母親の指導、これは完全にタイミングを間違えています。
今の娘の状態はハイテンションです。コンクールの達成感で満たされています。
両親とそれを共有したくて、彼女はしゃべり続けているのです。
この場面での“指導”は、娘の話の腰を折り、こちらの都合で論点を変えたことに他なりません。
「あなたがどんなに大変で楽しかったかなんてどうでもいい」
と言っているも同然なのです。
この場面で必要なのは、指導ではなく「共感の相づちを打ちながら聞いてあげる」、これだけです。
指導は別のタイミングでやれば良いし、第一今更「駅で騒いではいけない」と言われるような年齢でもありません。
これは我が家の、そして子育ての事例ですが、部下をお持ちのあなた、実は同じような「タイミングを誤った指導」をしていませんか?
「指導してやっている」という意識で、自分の都合のよいタイミング(思いついたから指導する)になっていませんか?
その指導は自己満足になっていませんか?
指導とは相手を成長させるために行う行為です。
「何を言うか」「どのような言い方で指導するか」は考えていても、それが相手の『心に届くタイミング』でなければ効果は期待できません。
「どのタイミングなら真摯に耳を傾けてくれるか」
「どのタイミングなら自分のこととしてとらえ、堪えるか」
相手の立場に立って、そう、以前の指導「される側」だった自分を思い出せば、おのずと『心に届くタイミング』は見極められるはずです。

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