KEIO MCC

慶應丸の内シティキャンパス慶應MCCは慶應義塾の社会人教育機関です

ファカルティズ・コラム

2008年09月12日

私のモヤモヤ解消法

皆さんも、「理由ははっきりしないが、なんか気が晴れない」という時があるでしょう。
「なんかモヤモヤする」とか、「なんかイライラする」という状態です。
こういう時、どう対処していますか?
「誰かと飲みに行く」「運動で汗を流す」など、人それぞれ解消法があるはずです。
コーチングのプロである知人は、「自分の最高の状態を、右耳をさわるという行為にアンカリングしてあるので、どんな時も右耳をさわればスッキリする」そうです。(“アンカリング”の説明はここでは割愛します)
しかし私は、残念ながらそんなスキルは持ち合わせていません。
でも、実は私なりのモヤモヤ解消法があります。
そしてそれはそんなに難しいことではありませんので、少しご紹介させていただきます。
それは、『徹底的に考える』ことです。
(「結局それか!」と言わないでください(笑))

さて、『徹底的に考える』といっても、漫然と考えるわけではなく、また「どうやってこのモヤモヤを晴らそうか」と、解消法を考えるわけでもありません。
私の手順は以下の通り。
(1)原因を洗い出し、特定する
(2)特定した原因に対して、悩む意味があるか否かを考える。
(3)割り切る or 方策を考える
これだけです。
まず、「なぜモヤモヤするのか」をひとつひとつ考えていきます。心配事や気になることが皆無ということは、生きている以上必ずありますから、いくつもいくつも思いつきます。
それこそ「映画を見に行きたいが時間がない」というプライベートなものから、「研修のコンテンツをどうするか」などの仕事の件、さらには政治や国際情勢まで、様々な気になることが頭に浮かんできます。
そして次に、「で、どれが一番気になるか」を頭の中で探します。
そうすると、「ああこれか」と見つかる場合もあれば、時には「どれも大した問題じゃないな」ということがわかる場合もあります。
後者のケースであれば、もうその時点でモヤモヤはほぼ晴れます。
「ああ、悩むほどのものじゃないことがいくつもあるだけか」となるからです。
前者であった場合には、さらに考えます。
「さて、この気になること、この後考える意味があるか?」と考えるのです。
たとえば過去のミス、それこそ学生時代の恥ずかしい一件を思い出してモヤモヤしていたのであれば、それは考える意味がありません。今さらどうしようもありませんし。
また、星野ジャパンのふがいなさにイライラしていたのであれば、これも考える意味はゼロです。私がどんなに考えて(悩んで)も、私にはどうすることもできないからです。
「自分の手の届かないことは考えてもしょうがない」と割り切るのです。
これができると、とても楽。
「悩むヒマあったら別の生産的なことを考えよう」とポジティブになれます。
私の経験上、モヤモヤの8割はここで解消できます。
ここまでのポイントは何か。
このブログでも何度も言っているように、『分けて考える』ことです。
さて、ここまでであらかたのモヤモヤは解消できるわけですが、残り2割は、引き続き考える必要があります。
自分の手の届く悩みであり、それは自分自身の課題だからです。
たとえば2か月後の研修のコンテンツで悩んでいるのであれば、これは本格的に悩む(というかきちんと手順を踏んでコンテンツを考える)必要があります。
「ウダウダ悩んでるヒマがあったら、さっさと計画的に考えろ」と自分に命じることができます。
これで全てのモヤモヤは解消します、というのは少しウソです(笑)
なぜならば私も血の通った人間ですから、「考えてもしょうがない」とわかっていても、やはりそう割り切れないものもあります。
しかしそんな時はこう考えるようにしています。
「悩むことがあって良かったな。これこそ生きているってことだ」

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