HOMEへ戻るMCCマガジン「人生というキャリア選択」(私のエッセイ)

「人生というキャリア選択」(私のエッセイ)

2012年02月14日

才藤 真市
カルピス株式会社

 私の慶應MCCとの出会いは、昨年の4月でした。その時私は、カルピス社の関係会社、および同業他社との合弁会社での8年間の出向を終えて、古巣の人事部に戻っておりましたが、人事のことを再度学び直そうと思い、「組織・人材プロフェッショナル養成講座」に参加しました。そして今は、「キャリア・アドバイザー養成講座」に通っています。

 私は、関係会社に出向していた時、キャリアカウンセラーの資格(CDA、GCDF)を取得しましたが、人事部での日頃の社員との関わりを通じて、キャリア自律への支援の大切さを痛感し、社員によるキャリア相談を立ち上げたいとの思いから、この講座に参加しました。この度、慶應MCC事務局の方から、【てらこや】へのエッセイ執筆のご依頼を頂戴し、私のような未熟者がと憚る気持ちはありましたが、折角のお誘いですし、
50歳半ばを迎えた私にとっては、人生の棚卸、内省のよい機会とも考え、人生というキャリア選択の仰々しいタイトルで執筆をさせていただくことにいたしました。


 私は、昭和30年代の初めに、東京都渋谷区で一族郎党食べ物商売を営む分家の次男坊として、この世に生を受けました。当時の渋谷は、今の若者の街、繁華街からは想像できないほど、のどかな風景が残っていました。今は地下に潜る渋谷川も、当時は街中をのどかな小川としてその姿を見せていました。私は小さい頃、やんちゃで、幼稚園では初恋、恋敵とのけんか、小学校では先生の言うことも聞かず、授業中に大暴れ、とうとう先生の隣に席を移され、他の学童と隔離されてしまいました。授業参観の日、武士の情けと思ったのか、先生が元の席に戻っていいと言ってくれたのですが、私は頑として応ぜず、そのまま、父兄が集う授業参観を迎えました。当日来てくれた今は亡き母親は、あなた面白いところに座っていたねと一言、全くお咎めなし。母は大物だったのでしょうか。

 こんなやんちゃな私も、中学入学間近になったある日のこと、今まで自分のやってきたことが急に恥ずかしくなり、これではいけないと心を改めた記憶が今でも鮮明に残っています。中学では、私は大人しくなりましたが、学業成績は芳しくなく、高校受験を迎える3年生になっても模擬試験の偏差値は50程度、担任の先生から君は今の成績ではどこも受からないよと諭され、俄然ファイトを燃やし、猛勉強、最終模擬試験時には偏差値67迄アップしました。私は大学付属の高校に入学したのですが、男子校で花もなく、学校から帰ってから、毎日5時間以上、勉強に明け暮れておりました。

 大学入学を迎える頃、永く続けられるスポーツがしたいと、昔白バイのお巡りさんをやっていた叔父に相談をしました。叔父は剣道をやっており、俺に相談するなら剣道しかないだろうということで、私は剣道を始めることにしました。私の入学した大学の剣道部は、当時全国大会を制覇する勢いでしたので、私は大学の剣道同好会に参加、他にも道場に通い、朝は渋谷警察で稽古の掛持ち、毎日のように稽古に励みました。あまりやり過ぎて、血尿、疲れ過ぎて夜は眠れずうつ伏せになって唸っている有様でした。猛稽古の甲斐があって、私は、3年生の時に会員70名を率いる同好会会長に任命されました。その役割を担う中で、組織をマネジメントする難しさ、大切さを始めて学んだと思っています。

 剣道に大恋愛そして大失恋、実家の店の手伝いと諸々のアルバイト、楽しい大学生活でしたが、あっという間に就活の時期を迎えました。当時、今ほどではありませんが、買手市場、そんな中で地元の食品会社のカルピス社を受験しました。カルピス社は試験が終わるとすぐその日に連絡が入り、他社の選考途中で内定、カルピス社にお世話になることにしました。最初は営業でしたが、上司に反抗的で1年弱で追い出され、工場勤務、私は事務課所属でしたが、現場に入りびたり、作業の手伝い、現場の先輩やパートのおばちゃんとも親しくなり、現場係長からは厳しい社会人指導を頂戴して、夜は剣道三昧の楽しい4年半を過ごしました。その頃、今のかみさんと知り合い、土日は社会保険労務士の受験勉強をしていたのですが、デート優先で結局受験を断念してしまいました。結婚と同時に、本社人事部に異動となりました。私は、人事だけはいきたくないと思っておりましたが、この偶然の異動が、企業人としての私の核となるキャリア形成のスタートとなりました。

 人事の仕事は、通算で16年に及び、後半の頃は人事諸制度改定やMBOの導入、健康管理室の立上げ等、自ら主体的に推進し、最もテンションの高い、充実した日々でした。

 一方仕事の幅を広げたいと他分野への異動を希望していた私は、40歳半ばになってやっとそれが実現し、各地域販社を統括する事業会社に出向となりました。ところが、今までのキャリアが通用しない分野での仕事ということで大苦戦、貢献できないもどかしさを痛感し、悶々とする日々を過ごしました。でも私は兎に角、自分がいい仕事をしなければ周囲も認めてくれないと思い、必死に取組み、人事の経験も活かせるようになって、ようやくメンバーからも一目置かれるようになりました。そんな中、同業他社との合弁事業の話がまとまり、私は合弁会社の人事総務部長を拝命しました。カルピス社はマイノリティの立場でしたし、1300人以上いる社員のうち、カルピス出向者は20名程度、そんな異文化の中で、メンバーは簡単には動いてくれません。私は、まず誠実であること、この会社にとって何が適切かを考え、メンバー個々人との距離感も量りながら、繰り返し自分の考えを話し、メンバーの意見を取り入れ、創業期の諸課題に取り組みました。一昨年、私は古巣の人事部に戻りましたが、8年ぶりのカルピス社は大きく変貌し、浦島太郎状態、でも、これまでのささやかな成功体験と修羅場体験、異文化体験が大いに役立っています。

 出向時代、私は仕事に注力し、大好きな剣道からも遠ざかっていましたが復活し、昨年5月、ゴールデンウィークも仕事続きの最中、剣道七段に合格しました。私の年代で七段といっても決して偉くもなんともありませんが、私にとっては、諦めずに修練をした賜物だと思っています。私自身の人生を振り返ってみますと、私が小さい頃から変わらず育んでいるもの、成長とともに変わっているものを感じ、90年以上続くカルピス社が創業の志として育んでいるもの、環境変化に応じて変えているものがあり、人も企業も相通じるものがあると改めて思っています。

 ワークライフバランスと言いますが、それは時間軸の問題ではなく、心の在り様だと思います。仕事は大事、プライベートも大切、そんな中で、両方のバランスといいますか、オンもオフも同じ一人の自分として統合・共生していくものだと思っています。今、私は企業人としての集大成の時期、自らプロフェショナルとして、いい仕事をするとともに、次世代を担う後輩たちに伝えていけるものがあればありがたいと、心に念じております。剣道はライフワーク、かみさんと愛犬の3人暮らしを大切にしながら、自分らしく生きていきたいと思っています。

メールマガジン「てらこや」で更新情報をキャッチ!

「てらこや」は、「学び」を改めて見直すきっかけとなるようなさまざまな情報の提供を目的に発行している無料メールマガジンです。慶應義塾の社会人教育機関である慶應丸の内シティキャンパス(慶應MCC)が毎月発行しています(原則第2火曜日)。