KEIO MCC

慶應丸の内シティキャンパス慶應MCCは慶應義塾の社会人教育機関です

夕学レポート

2007年05月09日

イマジネーションで読む古典 林望さん

リンボウ先生は、20代の数年間、慶應義塾女子高校で、国語教師として教壇に立っていた時代がありました。
多くの場合、国語教師は現代国語と古文・漢文の両方を教えることになります。若き日のリンボウ先生にも、現代国語の授業も受け持つようにという要望が再三だされたそうです。
ところがリンボウ先生は、頑として、その要求を拒否し続けたそうです。
「学校教育で、現代文学を読ませる必要はない。古典だけをじっくりと学べばよい」という強い信念があっての拒絶だったそうです。
「不易流行」という芭蕉の言葉にあるように、長い年月を越えて生き残った古典文学には、時代を超越した不変的な価値が宿っている。いつの時代に読んでも面白いから、その時々の至高のインテリがその価値を認め語り伝えてきた。どうせ読むなら、時空のかなたに消えていく流行文学ではなく、時代を超えて生き残った古典をこそ読んで欲しい。
リンボウ先生はそう考えているそうです。


近代以降の文学作品で、古典として100年の後も残っているのは、夏目漱石だけだ。
森鴎外は既にほとんど読まれなくなっている。
三島由紀夫も大江健三郎も100年後に残るかは危うい。
流行だけを追い続ける現代の本の多くは、20年後にはなくなるだろう。
そんな刺激的な話も、合唱団で鍛えたリンボウ先生のよく響く低音に乗せて聞かされると納得してしまうから不思議です。
「西欧文学の歴史は400年前のシェークスピアからはじまった」という話をどこかで聞いた記憶がありますが、確かにリンボウ先生が言うように、建国200年の米国には古典が存在しません。ヨーロッパや中国の古典は政治・哲学・宗教が中心で、源氏物語に代表されるような「もののあはれ」的な精神世界は描かれていません。
日本の古典文学には、世界に誇るべき、豊かな文化が隠されているわけです。
リンボウ先生は、1000年なくならずに生き残っている古典(例えば源氏物語、枕草子、徒然草等々)には、「心の移ろい」「人生のはかなさ」「人情の機微」が描かれていると言います。
それは、私たち日本人の精神世界にしっかりと根をはり、無意識のうちに私たちの価値観や心情傾向を方向付けている、もっともコアなマインドで、日本人を日本人たらしめているものだと考えているそうです。
それほどまでに古典文学を愛して止まないリンボウ先生だけに、学校教育における古典授業のあり方には、怒りにも似た問題意識を持っているそうです。
私たちが数十年前に学んだ古典の授業は、まずは、複雑怪奇な文法から入り、「さ行変格活用は...」などという理屈を学んだものでした。
試験対策といえば、代表的な作品の冒頭部分の暗記は必須でした。
「いずれの御時にか...」
「春はあけぼの やうやう白くなりゆく山ぎわ...」
「つれづれなるままに日暮らし、硯に向かいて...」
「いく河の流れは絶えずして...」
そのくらいまでなら、すらすらと口にできる人も多いかと思います。
しかしながら、リンボウ先生に言わせると、文法偏重主義は、古典から文学としての面白さを奪ってしまうもので、暗記も、文学としては一番面白くない部分を苦労して憶えているに過ぎないとのこと。
母語というのは、言葉を理解しているのではなく、意味や文脈を理解するものなので、言い回しや表現がわからなくても、言わんとしていることはわかるはず。厳密な表現理解にこだわらずに、むしろ、言葉の背景にある情景や心情を、ありありと想像し、共鳴することが重要だと、リンボウ先生は言います。
その意味では、物語の中でも、もっともイマジネーションが湧く場面を取り上げて授業をすべきで、つまらない箇所を暗記することにどれだけの意味があるのか、ということになります。実際に、教師時代のリンボウ先生は、教科書は使わずに、全て教材は自分で用意したそうです。
ここまで聞くと、古典を学ぶのに最も相応しい対象者は、10代の少年少女期ではなく、人生の辛苦を嘗め、機微に通じた「大人」に他ならないことになります。
リンボウ先生が、大人を対象にした古典の啓蒙に力を入れている理由がここにあります。
講演の後半では、リンボウ先生が「枕草子」から選んでくれた、いくつかの「おすすめの一節」を教材に、「大人のための古典授業」を実践してくれました。
(この資料は、「夕学五十講」のサイトにアップします。)
リンボウ先生のユーモアたっぷりの洒脱な解説もあって、はじめて目にしたそれらの文章からは、女性のホンネ、色気、風刺の香りが匂いたってきます。稀代の才女、清少納言の人間的部分が赤裸々に表にでており、描写場面や執筆時の表情がありありと想像できるほどでした。
恥ずかしながら、古典の魅力にはじめて気づかせてくれた素晴らしい授業でした。
最後に、講演では触れませんでしたが、リンボウ先生が「骨身を削って書き上げた」という初の長編小説『薩摩スチューデント、西へ』が発刊されました。
幕末動乱期に、英国に派遣された13人の薩摩藩留学生の旅を描いた力作です。
是非、こちらもお読みください。

メルマガ
登録

メルマガ
登録