KEIO MCC

慶應丸の内シティキャンパス慶應MCCは慶應義塾の社会人教育機関です

夕学レポート

2007年05月29日

「なぜ、どうしてを問うことの意味」 中島隆信さん

中島隆信先生は、大相撲、宗教、障害者など、一見、経済学とは縁の遠そうな世界を題材に取り上げ、経済学的な思考法をつかって、そのメカニズムを解き明かすというユニークな本をいくつも著されています。
「人間として生きている全ての人々が、経済学の考え方を身につければ、世の中はもっと暮らしやすくなる」
という強い信念に支えられてのことです。
経済学的にいえば、「経済学の考え方を身につければ、社会全体がもっと得をする」ということでしょうか。
およそ全ての社会現象は、それを引き起こす人間の「動機」が背後に隠されています。
「それは自分にとって損か、得か」という合理的な判断の積み重ねに他なりません。
だとすれば、なぜ損なのか、どこが得なのかを明らかにすることで、社会現象発生のメカニズムがわかる。更には、その社会現象に問題があるとすれば、問題を解決するための糸口も見えてくる。
中島先生が、主張されたいのは、そういうことではないでしょうか。


さて、講演は、中島先生が著された三冊の著書にそって、三部構成で進行しました。
ひとつめは、「伝統文化としての大相撲」です。
中島先生は、大相撲は、スポーツ3割・伝統文化7割で構成されていると考えています。
そして、7割を占める伝統文化の要素があるが故に、生き残ってきたと言います。
茶の湯にせよ、生け花にせよ、伝統文化と呼ばれているものの全ては、最初は「実用」のために生まれた文化でした。
やがて時代の変化の中で、「実用性」を失った時に、生き残るための合理的な工夫を加えることで、伝統文化としての今日の姿があるそうです。
合理的な工夫のひとつは、「道」化することだそうです。
茶道、華道、剣道、相撲道。伝統文化・スポーツの多くは、「道」化することで、参入障壁をつくり、無用な競争を排除して、自分たちの世界を守りつづけてきました。
「道」化戦略には、いくつかの特徴がありますが、中島先生は大相撲を例にとって、わかりやすい解説を加えてくれました。
・特殊な人的資本
その世界でしか通用しない特殊な人材、能力を集積すること。
大相撲力士の肉体と生活習慣は、その最たるもので、大相撲でしか生きられない特殊な人材で構成することで、流動性を抑えることができます。歌舞伎の家柄や、華道、茶道の家元制度も同じだそうです。
・年功制
横綱も引退して親方になれば、会場整理から始めますが、その代わり65歳の定年まで生涯生活を保障してもらえるというメリットがあります。
・カリスマ
横綱の土俵入りや化粧まわしに見られる神格化された所作や品格は、閉ざされた世界に神秘性を醸し出すことに繋がります。
大相撲の代表される伝統文化は、閉鎖的な世界で完結して、生き残り続けるうえにおいては、極めて合理的に設計された仕組みといえるそうです。
中島先生は、伝統文化の合理性を評価する一方で、現在の伝統文化が、ともすれば行政の保護に頼ろうとする姿勢には厳しい目を向けています。
「道」化戦略がそうであったように、生き残るための努力は自分たちで行うべきだと考えているからです。
伝統文化に必要なのは、時代に適応した「文化マーケティング」の発想だそうです。
経済学的に分析を加えて解説いただいた、ふたつめの社会システムは、お寺の檀家制度でした。
中島先生は、江戸時代に完成された檀家制度は、日本の仏教を現在の規模で維持存続させてきた唯一最大の仕組みだと言います。
お寺ひとつが経営採算ベースに乗る檀家数は300軒だそうです。
檀家制度は、言い方を変えれば「お墓」という移動可能性の低い急所を、お寺が抑えていることになり、「お墓」がある限り、葬式、法事、年中行事という収入機会が、競争やコスト意識を考慮することなく保証されます。
日本に75,000あるという寺院数は、この仕組みの上に存在しているそうです。
ただし、何事もそうであるように、檀家制度は生き残りのKFSであると同時に革新を阻害する悪弊にも繋がるとのこと。
人間の流動化や少子高齢化がいま以上に進展し、「お墓」に対する意識が変わりつつあるいま、お寺の将来はけっして明るくはありません。
講演では、檀家制度が存在しなかった沖縄の仏教が、やっとの思いで細々と存続している様子をスライドで紹介いただきましたが、同じ道を本土の仏教が歩まないとは言い切れないだろうとのこと。
「いつの時代にも宗教へのニーズは存在する。いまの時代に人々が宗教に求めているものに謙虚に目を向ける必要がある」というのが中島先生の意見です。
最後に解説していただいたのは、福祉サービスの分析でした。
中島先生は、障害を持つお子さんをお持ちなだけに、他に比して力をいれてお話されました。
従来型福祉の問題は「福祉に、ビジネスやお金を持ち込んではいけない」という暗黙の前提とその裏返しとしての行政保護依存体質にあるそうです。
これまで福祉は、「自分が好きだからやる」という信念をもった人々に支えられてきたけれど、それだけでは限界がある。もう少し市場マインドを持ち込んで、金銭的インセンティブで動く人々や会社が参入することが、福祉サービスの全体水準を上げ、質を維持していくことに繋がるとのこと。
そのためには、障害者やその親も市場経済の一員であるという意識が必要で、消費者としての自立が必須だと中島先生は考えています。
福祉サービスへの民間参入は、介護保険導入をきっかけに広がってきましたが、障害者に対してはこれからだそうです。
なにより、現在は、さまざまな障害者手当や支援が、本人の経済的自立と引き替えになっており、「自立すると損をする」メカニズムになってしまっていることに大きな問題があるとのことでした。
我々は、世の中の仕組みを見るときに、「これはそういうものだ」と言う既成概念に囚われがちです。
特に伝統文化や宗教、福祉などは、感性・感情・信念など、こころの領域に関わってくるために、論理的な思考を放棄してしまう傾向があります。
中島先生によれば、全ての社会システムは、生き残るべき理由があって残っていることになります。
問題は、生き残るべき理由が、時代の変化に適応しなくなってきた時にどうするかです。
そんな時、経済学の考え方はひとつの道筋を示してくれるのかもしれません。
社会のニーズに耳を澄ます際に、「それは自分にとって損か、得か」という普遍の原理に忠実であることが必要です。

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