KEIO MCC

慶應丸の内シティキャンパス慶應MCCは慶應義塾の社会人教育機関です

夕学レポート

2007年06月01日

「新しい実学をおこす」 川勝平太さん

「新しい実学をおこす」 
空前の盛り上がりをみせた早慶戦前夜だからというわけではないでしょうが、早稲田マン川勝平太先生は、慶應義塾に対する配慮と対抗の精神をもって、きょうの夕学に、このタイトルをつけていただいたようです。
「実学」といえば、福澤諭吉。慶應義塾の基本理念として、いまも息づく「実学」の精神は、稀代の思想家であった福澤諭吉の代名詞のひとつです。
福澤がいった「実学」とは、論理や根拠に基づいた科学的な学問を意味すると言われています。川勝先生は、もう一歩すすめて、福澤が明治維新の揺籃期に、「実学」を唱えた意味に論点を移し、「実学」とは、当時の新たな国づくりに必要不可欠な学問という意味をもっていたのではないかと言います。
つまり、当時の日本のモデルであった西洋文明(技術と精神)にキャッチアップするためには、西洋の学問の主流であったサイエンスの発想と思考を学ぶことが必要だったというわけです。
翻って、140年後のいま、「実学」の優等生であった日本が直面しているのは、欧米キャッチアップ型の次にくる「新しい国のかたち」をどう描くかという大きな課題です。


川勝先生は自らも委員を務めている教育再生会議の目的を、「次の日本をつくるために新しい実学をおこすものだ」と考えています。
かつての「実学」を必要とした、明治維新期の日本の国づくりが、欧米キャッチアップ型の「力とモノの豊かさ」を目指していたとすれば、新しい「実学」を必要としている、21世紀日本の国づくりは、「こころの豊かさ」を目指すべきだと、川勝先生は言います。
「強い国」から「美しい国」への価値観大転換。150年間の努力の成果として蓄積した国の富を、これ以上の物質的豊かさに費やすのではなく、「日本はいいなあ」と思ってもらうために文化・芸術の創造やそれを担う人材育成に使うべきだというのが川勝先生の主張です。
では、どうやって、「美しい国」づくりをすすめれば良いのでしょうか。
この命題に対して、川勝先生は、歴史学者らしく、過去から学ぶ姿勢で臨んでいます。
川勝先生によれば、日本の歴史を振り返ると、時代の変革期、文明の転換点では、「場所を変える」という行為が行われてきたのだそうです。
大乗仏教と律令制度という中国伝来文明を根幹にした時代は、「奈良」が日本の中心。
密教と国風文化が花開いた貴族社会は、「京都」
南宋文化の輸入と武士社会が登場した鎌倉時代は、「関東」
それまでの文化をミックスして日本独自のわびさびの世界が生まれたのは「室町」
鎖国に伴う、独自文化が発展・隆盛し、武家社会が完成した時期は「江戸」
明治以降の近代文明と戦後復興を経ての現代社会の隆盛は「東京」
という具合に時代とともに、その中心が変遷してきました。
だとすれば、「美しい国」の中心はどこか。
川勝先生は、次の時代は、一極集中ではなく、地方が主役のゆるやかな道州制を提言されています。
北海道・東北地方は、緑豊かな「森の州」
中部・甲信越地方は、険峻な山岳に象徴される「山の州」
関東地方は、広々とした「野の州」
西日本・南日本地方は、海上を通して繋がる「海の州」
首都は東京から移転し、「森の州」と「野の州」の境界に位置する那須高原へ置く。
それが「美しい国」づくりの第一歩だそうです。
「美しい国」の時代の「実学」は、学校で学ぶものではない。自然と調和して生活するために、日本人が長い時間をかけて築いてきた叡智が埋め込まれた地域の大地と暮らしこそ、新しい「実学」を学ぶに相応しい場所である。
川勝先生は、力強く宣言して、講演を締めくくりました。
「9時4分の新幹線に乗りたいので...」
講演が終了するとすぐに、川勝先生は、帰り支度を始められました。
帰る場所は、軽井沢です。
時間と空間を縦横無尽に使いながら、クリエイティブに発想する川勝先生の構想は、自然に囲まれた静かな暮らしから生まれているようです。

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