KEIO MCC

慶應丸の内シティキャンパス慶應MCCは慶應義塾の社会人教育機関です

夕学レポート

2007年12月07日

独歩の精神 市川亀治郎さん

今年32歳の市川亀治郎さん。まだ青年とはいえ、初舞台は4歳、芸歴は28年に及びます。
歌舞伎界では、子供は幼少から舞台で育ちます。芸は身体で覚えるものという伝統に根付いた習慣のようです。亀治郎さんもそうやって芸を身につけてきました。
亀治郎さんの話を聞きながら、学習理論で言われる「正統的周辺参加」という理論を思い出しました。
伝統文化や職人のように、師匠の元で弟子が学ぶ徒弟制度下における人材育成メカニズムを分析した理論です。
「常に本物の周辺に存在し、自らもその状況に参加する」ことで学びを深めていくことから「正統的周辺参加」という名称が当てられています。
その非合理性ゆえに、今では古典文化や芸能界など特異な世界にしか残っていない徒弟制度ですが、かつては全ての職業教育は「正統的周辺参加」方式で行われていました。


この理論を研究する学者達は、近代的な学校制度がはじまるはるか以前から行われていた伝統的な学習形態の中にこそ「真の学習」が隠されている主張しています。
効率性・合理性を超越した別の次元で、DNAに刻み込まれ、けっして失われることのない「深い学習」が可能になる唯一の方法だからです。
亀治郎さんによれば、歌舞伎界では、楽屋が「正統的周辺参加」の場になるようです。
幼い頃から、楽屋で長い時間を過ごし、大人を遊び相手としてすることで、歌舞伎役者独特の所作や言葉使いを学んでいきます。
顔色を読む術や雰囲気を察する力など、今風にいえば「KY」能力も自然と身につくといいます。
楽屋で分からない事があれば、周りの大人に聞けば丁寧に教えてくれるので、自ずと必要な知識も蓄積されることになります。
亀治郎さんが紹介してくれた、8年前の新春浅草歌舞伎の楽屋での体験は「正統的周辺参加」が真の学びであること納得させるに十分な逸話でした。
風邪気味だった亀治郎さんは、午前の部の終演間近に舞台で貧血をおこし、楽屋では立ち上がることも出来ない状態だったそうです。午後の部までの幕間は30分。
「もう無理だ! すぐに代演のアナウンスしてくれ」とSOSを出す亀治郎さんに対して、主催者が対応を迷うで、楽屋が同じだった父親の市川段四郎さんは、亀治郎さんを一瞥することさえせずに、鏡に向かって白粉を落としながら平然と言い放ったそうです。
「大丈夫ですよ。死んでもやらせますから」
小さい頃は、膝をすりむいただけで消毒薬持って駆けつけてくれた、優しい父親が見せた、思わぬ厳しさに、亀治郎さんは「舞台で死ぬのが本望」という真の役者魂を学んだと言います。
亀治郎さんの家には、私淑する梅原猛氏が書いた「独歩」という書画が飾られています。
それまでの常識を覆す斬新な歴史観・哲学思想を世に問うた梅原さんや、梅原さんと一緒に、スーパー歌舞伎という斬新な表現形態を創出した伯父の市川猿之助さんの薫陶を、幼い頃から受けてきた亀治郎さんには、「好きなことをやる。一人でもやる」という独立の精神が受け継がれています。
亀治郎さんは、2001年にそのスーパー歌舞伎を飛び出して、「独歩」の道を歩き出しました。
猿之助の精神を継ぐということは、スーパー歌舞伎にこだわることではなく、既存の歌舞伎に対してスーパー歌舞伎が与えた新奇性や挑戦心を、新しい世界で再現することだという確信があったからだそうです。
資金手当や会場探しから全てを取り仕切る自主公演「亀治郎の会」は、こうした経緯から生まれました。
好きなことをやる。やりたいと強く願ったことはいつか必ず実現する。
そう信じて道を切り拓いてきた亀治郎さんが、いつかやりたいと願っていることは、ラスベガスのエンタテイメントと歌舞伎の融合だそうです。
先端的かつ大規模な技術が実現した現代エンタテイメントの象徴ラスベガスに、表情と所作だけで観客を魅了することに収斂される歌舞伎の神髄をぶつけることで、これまでにないまったく新しい演劇が可能になると考えているそうです。
それは、出雲の阿国による歌舞伎創始以来、多くの先達達が受け継いできた歌舞伎の革新性を継ぎ、スーパー歌舞伎の現代性をも超越した、グローバル歌舞伎とでも言える世界かもしれません。

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