KEIO MCC

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夕学レポート

2008年02月04日

本質に下りていくこと 山口栄一さん

東大理学部で物理学を学び、理学博士号を持つ山口先生。NTT基礎研究所では、核融合の研究に携わっていたそうです。
現在は、同志社のビジネススクールの教壇で経営を教えています。
物理学とビジネススクール。一見すると関連性が薄いように感じる両分野ですが、山口先生に言わせると「普遍的な本質を究める」というアプローチ方法はまったく同じだそうです。
更には、本講演のテーマである“イノベーション論”も
「本質を見つけ出し、それをもって経済的・社会的な価値を生み出すあらゆる変革活動である」
という定義に立てば、物理学のアプローチが適用できる。
山口先生は、そう話されます。
山口先生は、まず、「研究」「開発」という言葉の概念整理からはじめました。
多くの企業で「研究開発」とひと括りにしてしまう両者ですが、実は似て非なるもので、この2つの違いを識別することが、イノベーション論の理解を促進すると山口先生は言います。


「研究」とは、「知の創造」で、誰も見えないことを見たり、知らないことを明らかにすること。つまり「出来ないことを出来るようにすること」と定義できます。
「知の創造」は、土壌づくりのようなもので、表面には見えない世界で進行していくものだそうです。
「開発」とは、「知の具現化」で、創造された科学的知見を集積・統合して、実行可能なものし仕立て上げること。つまり「形あるもの、目に見えるものを作り上げること」と定義できます。
「知の具現化」は、豊潤な土壌のうえに、生物を育て、花開かせる営みといえるでしょう。
山口先生は、イノベーションとは、「知の創造」と「知の具現化」の2軸を使って語るべきものだと言います。
イノベーションには、既存の土壌ではこれ以上成長できないという壁に直面した時に、土壌そのものを変えようという発想転換をし、可能性のある土壌を見つけ出すことが必要です。
また、新たな土壌を豊かなものにするためにコツコツと改良を重ねていく段階も不可欠です。
やがて土壌が豊かに変わった時、種を捲き、水をやり、手間をかけて育て上げることで花は開きます。
ここではじめてイノベーションとして認知されることになります。
山口先生は、青色発光ダイオードのケースを使って、上記のイノベーションプロセスを分かりやすく解説してくれました。
巷間では、中村修二氏という天才エンジニアが、ほぼ独力で成し遂げたとされている青色発光ダイオードの発明ですが、山口さんに言わせれば、土壌作り=知の創造をコツコツと積み重ねて、研究の連鎖を繋げていった何人かの先人研究者の成果を使って、中村さんが統合したに過ぎないとのこと。
ただし、中村さんは、既存の土壌から新たな土壌に切り替える(素材として、セレン化亜鉛ではなく、窒化ガリウムを使う)という発想転換をした点において特筆すべき働きをしたことは間違いないということです。
山口先生は、これを「パラダイム破壊」と言います。「本質に下りてくること」という表現も使われました。目に見えない土壌レベルまで思考を掘り下げることが必要だということに起因した言い方です。
イノベーションには、「知の創造」と「知の具現化」の2軸のうえで、「パラダイム破壊」と、見えない研究連鎖を繋ぎ合う「共鳴」の二つの現象が起きることで成し遂げられる。
それが山口先生の「イノベーション論」です。
上記の考え方は、技術の分野だけでなく、社会科学全般に普遍的に適用できるものです。
その事例として、JR福知山線の事故をケースに説明していただきました。
こちらは、イノベーションが起きた事例ではなく、「本質に下りてくること」を怠ったゆえに発生した大きな失敗事例としての紹介でした。
事故が起きた現場は、伊丹駅から6キロにおよぶ直線線路を経て、尼崎駅に到着する直前のカーブでした。
このカーブを、車両の転覆限界速度を計算する国枝方程式なる理論(先程の考え方の土壌づくりにあたる基本的な「知の創造」成果)に当てはめてみると、転覆限界速度は、106キロ。
伊丹駅から6キロにおよぶ直線線路の制限速度は120キロ。
もし何らかの理由で、伊丹-尼崎間において運転士が人事不省に陥れば、かならず事故は起こりえた状態にあったということです。
この事故が起きた根本の理由は、運転士の不注意やその遠因となった日勤教育の恐怖、ひいては不毛な労使対立構造にあったのでなく、転覆限界速度という「本質に下りてくること」を怠り、きついカーブに線路を付け替えてしまったことにある。
JR西日本の社会的責任は重い。
それが山口先生の見解です。
「本質に下りてくること」は、新たな価値を生む出すために必要なだけでなく、避けることにできる不幸を制御するためにも必要である。
山口先生の言いたいことがそういう事かも知れません。
サイエンスは社会をより良くするために使われなければならない。
そんな原理原則を再認識する機会になった講演でした。

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