KEIO MCC

慶應丸の内シティキャンパス慶應MCCは慶應義塾の社会人教育機関です

夕学レポート

2008年05月19日

「遊びごころ」のすすめ 天外伺朗さん

宇宙の神秘、あの世の科学、超能力etc。ちょっと怪しげ?なタイトルが付いた膨大な数の著作と“天外伺朗”といういかめしい名前。
『マネジメント革命』は読んでいましたが、直接お会いするまでは、「はたしてどんな方だろうか」と身構えておりました。
会場に現れたのは、小柄の身体を真っ白な麻のスーツで包み、キャンパス地のスニーカーを粋に合わせたナイスミドルでした。
講演の冒頭は、2年前にソニーグループを退社した際に執り行った本名:土井利忠さんの葬儀の逸話です。
本人が、死体役、喪主、僧侶の三役を兼任。「あちらの世界」と「こちらの世界」を自由に行き来しながら、楽しそうに立ち居振る舞う天外さんの姿が目に浮かぶような気がします。
お洒落ないでたちや、大爆笑のうちに行われたという葬儀で、天外さんが表現したかったのが「遊びごころ」だそうです。
「遊びごころ」こそが、天外さんの考える最大の価値であり、きょうの講演で主張された「燃える集団づくり」に必要なコアコンセプトでもありました。


天外さんは、近代合理主義経営を「ムカデ競争」に例えます。全員が一列縦隊を組み、足首を繋いで、調子を合わせながら進む姿に擬えています。
合理主義経営は、生産性向上に多大の貢献をし、この50年で生産性は50倍にもなったと言います。
「しかし、その限界が露呈しはじめている」それが天外さんの問題意識です。
近代合理主義経営の限界を打破する経営学が、天外さんの主張される「人間性経営学」であり、長老型マネジメントです。
繋がれた足首の紐をほどいて、バラバラになった個人が、しかしながら集団として全力で走る姿。それが天外さんの理想とする組織であり、その鍵が「遊びごころ」を持つことにあるとのこと。
具体的な事例として、ヒューマンフォーラム(京都の古着販売会社)とセムコ(ブラジルの製造業)をご紹介いただきました。
他にもパタゴニアゴアといった米国企業や未来工業などが近いイメージだそうです。
いずれも経営の常識であるビジョン・戦略・計画を否定し、組織や規程を排し、管理型マネジメントをなくして、社員が楽しく、関心あることに没頭できる環境をつくることに腐心している会社です。
最近の言葉で言えば、「ショブ・エンゲージメント」と言えるのかもしれません。
かつてのソニーもそうだったと天外さんはいいます。組織や権限規程、決まりはあってもそれを平気で無視する人間を尊ぶ風土があったそうです。
違いがあるとすれば、ソニーは、井深さんの属人的な人格でそれを可能にしていたのに対して、先述の企業は、経営原理として社内に浸透・共有化されている点だとか。いわば「組織能力」になっていたということでしょうか。
ただ、「ショブ・エンゲージメント」「組織能力」だのという言葉で説明してしまうことを天外さんは、老子の教えをひきながら、真っ向から否定します。
人間性心理学のタオ(真髄)は、決して言葉で表現できるものではなく、言葉はタオ(真髄)の痕跡でしかない」と...
大脳生理学の知見によれば、言葉に代表される論理世界は、大脳新皮質と呼ばれる分野が司るが、タオ(真髄)は、もっとも原始的な働き(本能、危険察知)を司る「辺縁系」で理解するものだからとのこと。
「伝わりにくいものを、伝えようと努力すればするほど、伝わらない。」
パラドックスとしかいえない本質がここにあります。
天外さんが、「人間性経営学」に気づいたきっかけは、2000年代初頭、役員の一人として直面したソニーの苦境だったそうです。
最も先端的な経営手法を取り込んだはずのソニーが、なぜ元気がないのか。
かつて自分が身をもって体験してきた「燃える集団」の高揚感が、なぜ失われたのか。
そう感じた天外さんが、自らの経験をベースに、深層心理学、大脳生理学、量子力学、宗教などの知見を結びつけ、自分なりの解釈を加えたものが「人間性経営学」です。
これこそが、金井先生(神戸大)の言う「持論アプローチ」に他ならない。
などと思いつつも、天外さんの話を大脳新皮質で解釈しようとする自分に、はたと気づき、安易な理解を自戒する。
そんな二時間でありました。

メルマガ
登録

メルマガ
登録