夕学レポート
2008年12月01日
「考え続けることが才能である」 羽生善治さん
昼間、立ち寄った本屋で偶然に『羽生』という本を見つけました。
作家の保坂和志氏が、1997年に書いた同名の本が昨年になって文庫化されたようです。
この本の「文庫版のためのまえがき」に、出版にあたって羽生さんから寄せられた手紙文が載っています。
その内容が、きょうの羽生さんの講演を理解するうえでも参考になると思いますので、ご紹介をしておきます。
「私が将棋の事について考えていた事、思った事を話した後に言葉で帰ってくるのはとても少ないので新鮮な驚きがありました。
読み・棋風・最善手等に対する考え方は少しずつ変化していくものなので、そういうプロセスが何らかの形で残っていれば良いなあと思っていたので、今回の出版は嬉しく、感謝をしています」
この本が書かれた1997年、羽生さんは27歳。史上初の七冠達成を成し遂げた翌年にあたります。羽生さんの将棋がある面において頂点に達していた頃でしょう。
この本を読むと、すでに10年以上も前から、羽生さんが自分の棋風について、驚くほど深く、しかも客観的に分析していたことに驚きます。
そしてもうひとつ、ご自身も予感していたように、この本で語る将棋の考え方・棋風と今日の羽生さんのそれとが、確かな変化を遂げていることを認識することが出来ます。
羽生さんの、今の棋風は、「直観・読み・大局観」の三つのワードで説明することができます。詳細は、2年前の夕学ブログをご覧ください。
一方で、11年前の棋風は、現在よりもはるかに「読み」に重きを置いていたことが記されています。
「この将棋では、序盤でたくさん時間をつかって、細かいところまでこだわって考えたのが読みの厚みとなって生きたのだと思います」前掲書67ページ
「つまり、今までの指し手の流れからいって、この局面ではこの手が最善手でなければならないという仮定をたくさんたてるのです」 前掲書69ページ
羽生さんの将棋は、10年の年月を経て、「読み」重視から「直観・読み・大局観」の組み合わせへと変化してきたことがよくわかります。
羽生さんは、「読み」の概念を計算力・記憶力に擬え、コンピューターに置き換えできる力だと言います。
これに対して、「直観・大局観」は、コンピューター置き換え不能な、人間ならではの能力です。
「読み」重視から「直観・読み・大局観」への変化は、「高性能計算マシンの戦い」から「人間としての勝負」へと、羽生さんの将棋観が変化してきたと言い換えることができるかもしれません。
羽生さんは、日本の将棋が、チェスをはじめとした世界の将棋的ゲームと大きく違う点を「駒数と盤面を極力絞り込んだこと」と「相手から取った駒を使えること」だと認識しています。
だからこそ、打ち手が飛躍的に増え、ゲームとして面白みが増してきます。
最初は静かに立ち上がり、後半になるほど激しさを増し、最後の一手を間違えての大逆転もあり得る。そんな将棋の奥深さも、この特徴に起因しているとのこと。
和歌や俳句にも通底する「日本らしさ」が将棋にもあります。
「読み」重視から「直観・読み・大局観」へと変わってきた羽生さんが、これからを見据えて意識しているのが、「二枚腰」の重要性だと言います。
例えば、スイスという国には、ハイジのような牧歌的光景もあれば、金融取引の最先端拠点という側面もある。芸術の集積地という顔もあるし、核シェルターを世界で一番多く持つという事実もある。多様な歴史や思想が重層的に積み重ねられている。
将棋にも同じことが言えるのではないか。あらゆるものを許容し、選択することができる多義的な力こそが必要である。 それが羽生さんの言う「二枚腰」です。
私は、「二枚腰」の話を聞きながら、松岡正剛さんの主張する「日本という方法」を思い浮かべておりました。
古代の日本人が、漢字の良さを活かしながら、独自の表記法である「万葉仮名」や「ひらがな」を作り上げたように、日本には、グローバルとジャパンを並列しつつ、巧みに使いこなすデュアルスタンダード的な文化ある。それが「日本という方法」だと松岡さんは言います。
猛烈な勉強家である羽生さんのこと、おそらく松岡正剛さんの本も読まれているのかもしれません。そのうえで、「日本という方法」は将棋にもあてはまると理解し、「二枚腰」という表現を使っているのかもしれません。
11年前に書かれた『羽生』は、「羽生善治の将棋に対する思考とは何か」をテーマにしていました。そして羽生さんは、いまも将棋を実に多面的に考え続けています。
「考え続けること才能である」
羽生さんのお話を聞きながらそんな言葉が浮かびました。
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