KEIO MCC

慶應丸の内シティキャンパス慶應MCCは慶應義塾の社会人教育機関です

夕学レポート

2009年02月26日

演劇を学んで何になる 

劇作家の鴻上尚史さんが夕学に登壇された際に、「この前、整体師の先生から聞いたのだけど...」と前置きされて、ユニークなボディワークを教えてくれました。
・椅子に座り、靴を脱いで、全身をリラックスさせる。
・5本の足の指を大きく開く(実際に開けなくても、開いた感じでOK)
・親指と小指を大地に着けたまま、残りの3本の足指を浮かす感覚をイメージする
というものです。
よろしければ試してみてください。こうすると(こうしようと努力すると)、ふくらはぎに微妙な力が入るかわりに、足裏全体から力が抜けて、軽い浮遊感のような感覚を得ることができます。
「通常では感じることができない不思議な感覚を知ることができる」
と鴻上さんは言います。


「感情を豊かにすれば表現が豊かになるというけれども、その逆もある。
 普段は使わない新しい表現を身に付けることで、自分では気づかない、
 まったく新しい感覚・感 情・感性を得られることもある」
鴻上さんが、演劇を使った表現力トレーニングに力を入れている理由がここにあります。
先述のボディワークは、「まったく新しい感覚」のひとつを簡単に体感するために紹介してくれたものでした。
私たちアジア人は、西欧人の豊かな表現力を羨望の眼差しをもって見つめます。
また、音楽やアートが地域社会に深く根ざしていることに驚きます。
鴻上流に言えば、彼らがアジア人に比べて、とりわけて感情・感性が豊かであるということではなく、社会交際上のプロトコルとして表現力を身に付けていることが、感情・感性を豊かにしているということになります。
同じ問題意識を、現代の日本社会が抱える大きな課題として捉え、それを解決する手段として「演劇」を使おうとしているのが、「agora」で演劇の講座を担当していただく平田オリザさんです。
「<協調性>から<社交性>へ いまこそ、コミュニケーション観の転換が必要である」
2年前夕学に登壇された際に、平田さんが強調されたのはこのことでした。
コミュニケーションという言葉を理屈っぽく定義するとすれば、
「自分のメッセージを相手に伝え、相手がそれを理解したというメッセージを自分が受け取ること」
ということになります。つまりコミュニケーションは、双方向のメッセージ交換です。
この時に、相手の人となりが分かり、何を考え、何をしようとしているかまで共感しないと、相手の言うことが理解できないというのが、<協調性>をベースにしたコミュニケーションです。
「彼らは(若者)は、場を読むことに命を懸けている」
というのが、心理学者の諸富祥彦先生が分析する当世若者像でしたが、すべてが分からないとコミュニケーションできないという特性を表しているのかもしれません。
場を読むことに命を懸けながら、こころを病む人々が増えているという現象は、分かり合えることができないことまでも、分かり合おうとするあまりに、分かってもらえないことで過剰なまでに自信を喪失している人々が如何に多いのか如実に示しているように思えます。
一方で、相手のことがよく分からない、考え方も理解できないし、気も合わない。だけれども、なんとか共有できるところを見つけて上手くやっていこうというのが、平田さんが主張する<社交性>をベースにしたコミュニケーションです。
「すべてを分かり合えないことを前提に、分かり合える共通項を探しだす」
その時に「演劇」が持つ方法論は、大いに役に立つと平田さんは考えているそうです。
セリフを通して状況を伝える、同じセリフを状況に合わせて使いわける、セリフひとつで状況を変える。
これらは「演劇」の最も基本的な技法です。
そのためには、作者の意図、演出家の考え、相手役の状況etcを読み取って、摺り合わせをしていくことが不可欠です。
「演劇」とは、きわめて短期間に、よく分からないもの同士が、互いに分かり合える部分を探し出すプロセスでもあるのです。
平田さんが教授を務める大阪大学大学院では、「演劇」を通じた表現力トレーニングが、理系大学院の学生を対象に行われています。
平田さんに言わせると、阪大院生の表現力は、他所で行う同じトレーニングコースの受講者と比しても、けっして優れているとは言えないとのこと。
「正解のある世界」に生きてきた学生達に、「すべてを分かり合えないことを前提に、分かり合える共通項を探しだす」という行為は戸惑うことが多いようです。
私たちビジネスパースンも、阪大院生のことをとやかく言えないことは、容易に想像できそうです。
ダイバシティという概念が、夕学でも何度か取り上げられました。谷口真美先生内永ゆか子さん
その際には、必ず会場の一部には、ある種の冷めた反応が感じられました。
「ダイバシティとよく耳にするから聴きにきたけれど、自分にはいまひとつ理解(共感)できない」 そんな感覚です。
そんな人にこそ、「演劇」に取り組んでみて欲しいと思います。
「通常では感じることができない不思議な感覚」を味わえるかもしれません。

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