夕学レポート
2009年02月27日
アートが繋ぐ新しい絆
人類最初の芸術が生まれたのは、約1万5千年ほど前のヨーロッパ大陸だと言われています。「ラスコーの洞壁画」もそのひとつです。教科書でご覧になった記憶のある方も多いかと思います。
この壁画を描いていた人々が暮らしていたのは、近くに大きな森があり、鹿やバイソンが群れなす豊かな場所でした。彼らは岩場の日当たりのよい場所を選んで生活の場としていたと思われます。
しかし、壁画が描かれたのは、光溢れる生活の場ではなく、地中奥深くまで続く暗闇の洞窟の中でした。
中沢新一さんによれば、ある種のイニシエーションを受けた人々が、暗闇の洞窟で、わずかな灯りを頼りに、バイソンや鹿の姿を描いていたとのこと。
それは、限られた者達が、神と交流するための宗教的な儀式であったと考えられています。
こうした、暗闇の中の、未知の神との交信として始まった、絵を描く行為が、明るい陽の光の中で行われる行為へと変わっていった原動力は何であったのか。
夕学にもご登壇いただいた千住博さんは、著書『美は時を超える』の中で、古代ギリシャの詩人ホメロスの言葉を引用して説明しています。
「芸術とは、人に知らせたくなる行為のこと」
もっと明るい場所で「多くの人に見てもらいたい」という本能が、神の領域であった「美」を、人間の領域の「美」へと転換させていったのではないか、と千住さんは言っています。
多くの人の目に触れ、批評を受けることが、描く側の創作意欲を刺激し、次の作品が生まれていったに違いありません。
「描く」・「創る」と「見る」・「評価する」という相互作用のもとで、芸術は発展してきました。
さまざまな地域で、同じように発展した芸術は、やがて普遍的な見方・評価を伴っていきました。芸術観、鑑賞法とも呼ばれるものです。
それは、人間が、長い年月をかけて積み上げた芸術に関する「知」の蓄積でもあります。
美術館や博物館は、「知」の蓄積をもとに、多くの人に、芸術の楽しみ方を伝える装置です。
慶應義塾大学アート・センター所長の前田富士男先生によれば、美術館や博物館には、作品をより深く理解してもらうための文化的なコンテクスト(文脈)が用意されているそうです。
-たんに自分の好悪の感覚ではなく、大きな歴史や世界のひろがりに触れる場です。感性とは直接的な感情ではなく、コンテキストを踏まえた知覚、のびやかなイメージ理解の他なりません。それを身につける場が美術館です-
かつて私たちの祖先が、神と交信するための絵を描いたのは、陽の光の遮断された洞窟の暗闇でした。恐らく、神と繋がるためには、日常生活の場ではなく、非日常的な異空間を必要としたのかもしれません。
今日の美術館や博物館にも、非日常的な価値があります。日常の喧噪から隔絶した、静かで、大きな空間の中だからこそ、感性を研ぎ澄まし、作品と触れあうことができます。
「agora」で、前田先生をはじめ慶應義塾大学アート・センターの協力のもとに企画した「アート深耕! 芸術からはじまる新しい絆」では、美術館や博物館の楽しみ方を含めて、芸術を通した新しい人間の結びつきを目指しています。
“自ら美術品を選ぶ”ことを通して、作品と能動的に関わる出発点を発見して欲しいと思っています。
美術品を選ぶとき、そこには、選ぶ目的、基準、着眼点、方法など、作品を多角的にとらえる行為が欠かせません。それは同時に、美術品が持つ感性的価値を通じて自らの感性に気づき、それを表現する営みでもあります。
創作者、美術館長、学芸員、古美術商など美術の専門家の示唆に導かれながら、日頃敷居が高いと感じられるアートの世界との新しい対話を楽しみます。
“自ら美術品を選ぶ”ことで、相手のことを思い、目的を考え、場をイメージする。アートを通して、人と人、人と美術、人と場等など、新しい絆を見つけることができるはずです。
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