KEIO MCC

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夕学レポート

2009年07月22日

史実とフィクションのあいだ 山本博文さん

私は、歴史(特に日本史)が好きで、大河ドラマを毎週見ています。
家族と一緒に大河を見ていて一番困る(というか返答に窮する)のが、「これって本当なの?」という質問です。
例えば、現在の『天地人』であれば、「直江兼継ってイケメンだったの?」とか、「秀吉はお化粧していたんだ」という類のものです。
なぜなら、そういうことを聞かれても、自信を持って、「これは本当」「これは作り話」と言えないことがおおいのです。所詮、素人の歴史好き程度の人間は、歴史小説の読み過ぎで、さまざまなバイアスがかかっており、史実か否かという点について怪しげなものです。
司馬遼太郎を批判的に評価する人は、彼の小説があまりに広く読まれ、影響力を持ってしまったので、彼がイメージを膨らませて著した人物や事件が史実と混同され、歴史認識を固定化してしまったと言います。


夢やロマンがあるから歴史が面白いのであって、無味乾燥な事実だけをもって歴史というのなら教科書と一緒になってしまいます。史実をベースに想像するという行為は、歴史に関心を持ってもらう際に不可欠な要素でもあります。
とはいえ、歴史小説や大河ドラマを楽しむのであれば、どこまでが史実で、どこからが想像なのか、それを識別しながら、作者の技量や意図を見極めることが出来れば、より一層楽しみも増すでしょう。
そんな思いもあって、山本先生にご登壇をいただきました。
山本先生が在籍されている東大史料編纂所は、江戸時代に起源を持ち、幕府、明治新政府、東京帝大と引き継がれた歴史ある修史研究所で、我が国の日本史研究の基礎となる第一級の史料を数多く所蔵していると言われています。
山本先生は、「文献に基づいた科学的歴史研究のプロ」ということになります。
一方で、学術論文からこぼれ落ちた逸話やエピソードを拾い上げ、一般の人々向けの分かりやすい歴史書やエッセイを発表しています。
大河ドラマもお好きなようで、かなり熱心な視聴者のようです。
「どこまでが史実で、どこからが想像なのか」を解説していただくには、最適の先生ではないでしょうか。
きょうの講演では、昨年の大河ドラマ『篤姫』にまつわる史実を紹介いただきながら、「大奥」の組織と仕組みを解説していただきました。大河の筋立てを意識して、「どこまでが史実で、どこからが想像なのか」という疑問が湧きそうな部分を中心にお話いただけました。
その結果、『篤姫』はかなり史実に忠実に描かれていたということがわかりました。原作者の宮尾登美子さんはもちろん、脚本を担当した田淵久美子さんも、かなり資料を読み込んでいるとのこと。
「それほどメジャーな存在ではなく、資料も表に出ていなかったにもかかわらず、よくお調べになったと思います」
と山本先生は評価されました。
そのいくつかを紹介します。
家定は愚帝とも言い切れない
大河で堺雅人が怪演した13代将軍徳川家定(篤姫の夫)は、「やや足りない」愚帝を装いながら、実はまともな人間だったというのがドラマの人物像であったが、彼にまつわる資料を見ると、魯鈍なフリをしていたかどうかは別としても至極真っ当な状況判断はできたのではないか。アヒルを追いかけたり、豆を煎ることに執着するなど幼児性を物語る逸話も記述されている一方で、世継ぎ決定をせかす薩摩への憤りの仕方を見ると、けして魯鈍な人間の反応ではない。
家定と篤姫の仲の良さは本当
ドラマでは、家定の演技を見抜いた篤姫の慧眼と優しさに家定がこころを許し、真の姿を見せることが出来る唯一の存在として仲むつまじく描かれていたが、実際に仲がよく、周囲は世継ぎの誕生も夢ではないと願っていた。
家茂と篤姫もよい関係だった
ドラマでは、家定の後継として一橋慶喜を押した篤姫と慶喜を退けて後を継いだ14代将軍家茂とは、敵対関係にありながらも、お互いの人間性を認め合い、特に篤姫は弟のように家茂を気遣っていたが、実際に、なにくれとなく家茂のことを心配する篤姫の手紙が残っている。
篤姫は慶喜が嫌いだった
出身である薩摩の命を受けて、慶喜擁立工作に奔走した篤姫は、実際に慶喜に会って以降、その人間性に不信を抱いていった様子が描かれていたが、篤姫は本当に慶喜が嫌いだったようで、慶喜とは心が通じ合えないことを嘆く手紙が見つかっている。
井伊直弼は評価すべき人物
外交との通商を強行決定し、反対派を弾圧した井伊直弼は、実は教養人で、信念の人でもあったという二面性が描かれ、篤姫はそれを認識していたとされていたが、実際に篤姫は井伊直弼を高く評価していたことがわかっている。
逆にここはフィクションという部分としては。
本寿院は悪女ではない
家定の生母で、篤姫の姑にあたる本寿院は、わがまま、感情的、酒好きで、篤姫をいじめたり、困らせる人物として設定されていたが、あの時代、将軍生母とはいえ、御台(将軍正妻)に対して、傲慢な態度は絶対に取れなかった。厳格な身分差があった。嫁姑関係をデフォルメしたドラマならではの脚色である。
勝海舟は大ホラ吹き
篤姫に関する話しに限らず、海舟が明治になって書き残したor語ったとされる幕末・維新の逸話や人物評価はあてにならない。文献資料と照らし合わすと辻褄が合わないことが多い。好き放題にホラを吹いていたと思われる。
皆さんどうでしょうか。
もう一度『篤姫』を見たくなりませんか?

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