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夕学レポート

2009年12月15日

「私は、ちゃんと仕事をした」 井村雅代さん

「シンクロの井村雅代が中国チームのコーチを引き受けた」
このニュースは、ちょっとした驚きをもって人々に受け止められた。
アテネ五輪では立花美哉、武田美保を擁して、デュエット・団体の両方で銀メダルに輝き、花道を飾って勇退したとばかり思っていただけに、私達が「なぜ?」という思いを持ったのは自然のことであったろう。
しかし、その後のマスコミや日本水連の対応は、明らかに悪意に満ちていたのではないか。
「国賊」という死語さえも闊歩した。
欧米の強豪国や弱小の新興国であれば、ここまでの非難は起きなかったであろう。あらゆる分野において、日本にとっての脅威論が叫ばれていた中国が相手であったことが刺激を増す結果になった。
数年前、上海や北京の高級ホテルの週末は、初老の日本人男性で占拠されているという噂を聞いたことがある。定年間近の日本人エンジニアが、アルバイト代わりにノウハウを伝授しているというのだ。
事の真偽は知らないが、井村さんの中国行きが、同じ文脈で「ノウハウ流出」と受け止められてしまった。


考えてみれば、三国志の時代から、軍師や指導者が、他国に移籍するということは珍しいことではなかった。
中国では、諸葛亮孔明は、劉備に「三顧の礼」をもって迎えられ、日本では竹中半兵衛が木下藤吉郎の誘いを受けて、その陣に加わった。
プロ野球でも、西本幸雄は阪急の監督を勇退した年に近鉄監督に就任したし、星野仙一も中日を辞めてすぐに阪神に移った。
井村さんが冒頭でお話されたように、「あなたの力がどうしても必要です!」「お望みの環境は全て整えます」と口説かれるのは、スポーツ指導者にとっては、職業冥利に尽きる究極の誘い文句で、誇りにすることではあっても、非難される筋合いではない。
井村さんも、そんな気持ちで中国の誘いを受けたに違いない。
それだけに、突如沸き起こったバッシングには驚いたという。強気な井村さんだけに、口にはされないが、内心は深く傷ついたのではないだろうか。
しかし、井村さんには、自分の決断の正しさを信じ切る力があった。
無理解や孤独に耐えて、自分の内面と向かい合う強さがあった。
今回の講演テーマは、「叱って育てる」である。
普通で考えれば、26年間の日本代表コーチに経験を踏まえたエピソードが語られると考える。井村さんも3年前までなら、そうだったに違いない。
実際は、ほとんどの内容は、1年7ヶ月でしかない中国チームの指導経験に基づいた講演になった。
井村さんにとって、中国での日々が新鮮で印象深かったせいもあろう。そしてなにより、僭越な言い方をお許しいただくとすれば、中国チームを率いた経験が、彼女自身の「ひと皮むけた経験」になったと認識しているからではないだろうか。
「私はね、自分の内面とこれほど向き合ったことはなかった」
「だから中国に行って本当に良かったと思う」

控室で、井村さんはそうおっしゃった。
単身乗り込んだ中国で、相談するスタッフも、愚痴る友人もいない。しかも指導者である自分は、あくまでも明るく、強気で、自信に満ちた風を装わなければならない。
誰にも見えないところで、一人で考える孤独な時間。
それが、自分の指導法を客観視し、正しさへの自信を深め、相手と状況に合わせて、柔軟にやり方を変えていくことを可能にしました。
「中国と日本の違いはここ! 同じなのはこれ」
と自信を持って語る姿は、日本代表コーチ時代以上の圧倒的な説得力がある。
北京五輪で見事に銅メダルに輝き、歓喜の輪に酔う選手・スタッフを、少し遠くから眺めていたという井村さん。
「私は、ちゃんと仕事をした」
そんな充実感に包まれたと言う。
「徳は弧ならず、必ず隣あり」
己の最善を尽くして信じた道を進むべし。その道が正しければ、必ず友は現れる。
そんな『論語』の言葉を思い出した。

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