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夕学レポート

2009年12月21日

「意味」=「苦悩」+「希望」  福島智さん

きょうのブログは、福島先生が講演の後半で紹介されたヴィクトール・フランクルの言葉から始めたい。
ウィーン生まれの精神科医で、ユダヤ人でもあったフランクルは、ナチスの強制収容所に送られ、奇跡的に生還するという体験をした。
彼は自らの悲惨な経験を踏まえて、下記の図式を示しているという。
「絶望」=「苦悩」-「意味」
「苦悩」と「絶望」は同じではない、どんな「苦悩」にも必ず意味があり、その意味が失われた時に、「苦悩」は「絶望」となることを示している。
福島先生は、次のように言う。
「意味」を左辺に移行して、「絶望」を右辺に動かす。更に「絶望」の代わりに反対語である「希望」を足せば、図式は新たな展望を示しくれる。
「意味」=「苦悩」+「希望」
「苦悩」の中に「希望」を抱くこと、そこに人生の意味があると....。


ガス室送りの恐怖と戦ったフランクルの苦悩と福島先生が体験してきた苦悩は質が違う。
しかしながら、3歳で右目を、9歳で左目の視力をなくし、14歳で右耳、18歳で左耳の聴力を失い全盲ろう者になったという福島先生の苦悩は、私たちには想像を絶する凄まじいものだろう。
幼い頃に夜空を見上げて、宇宙の不思議に思いを巡らすことが大好きだったという福島先生は、宇宙への思いに擬えて、視力と聴力を失った状態を表現してくれた。
全盲ろう者は、光と音のない宇宙に放り出されたに等しい感覚でいる。
自分はいまどこにいるのか、自分は本当に存在しているのか、そんな基本的な感覚さえもが失われてしまう。
多感な少年・青年期にじわじわと襲ってきた恐怖と苦悩の大きさは、福島先生にしかわからないものだろう。
「私は、バリアフリーという言葉にこだわりたいのです」
福島先生は言う。
ユニバーサルデザイン、ノーマライゼーション、ユビキタス等々近接領域で新しい言葉や概念が生み出され、バリアフリーには、やや古くさいイメージが漂う。
しかし、「バリアを壊す」という、この言葉が持つ響きには、現状を少しでも変えていこうという課題解決型の思想を感じるのだという。
18世紀にナポレオンの暗号文をヒントに開発された「点字」というソリューションは、全盲の方にコミュニケーション手段を与えることができた。
やがて「点字タイプライター」という新しいソリューションが作られ、大幅な効率化が可能になった。
福島先生のお母さんが考案した「指点字」という新しいソリューションは、福島さんの人生を切り開いてくれた。
更に、「指点字」の使い手が増えることで、相互コミュニケーションが活発になり、「指点字」システムを組織的にサポートする仕組みが出来たことで、全盲の方の社会的ソリューションに発展した。
かくの如きに、「バリアフリーの連鎖」は個人を変え、社会を変えることに繋がっていく。
福島先生は、人類の歴史そのものが「バリアフリーの連鎖」ではないかという。
100万年前、アフリカの大地を旅立った人類の祖先達は、幾度ものバリア(障害、問題)を解決することで生命を繋いできた。
言葉も、文字も、宗教も、芸術も、人間を人間たらしめている全ての営みは、人類が直面してきたバリアを壊すために生み出した知的ソリューションに他ならない。
障害者の例は分かり易いけれども、人間は誰しもがなんらかのバリアを抱えている。「バリアフリーの連鎖」は全ての人に関わる問題でもある。
研究者としての福島先生が「バリアフリー」にこだわる理由と、苦悩の中に抱いた「希望」の大きさ=福島先生が到達しえた「生きることの意味」の偉大さがわかる。
「もし、目と耳を人工的に与えてあげると言われたらどうするか」
この問いに、福島先生は、「断るであろう」と言う。
自分には、見えない、聞こえない28年間の世界で培ってきたさまざまプログラムがある。
人工の目と耳があれば便利で快適かもしれないけれど、28年間の財産がなくなってしまうことの方が重大だ。
人生の豊かさは、便利や快楽の大きさではない。意味の大きさである。
意味の大きさは、体験してきた苦悩の大きさ、そこで見つけた希望の大きさでもある。

私たちの未来を、この言葉から見つけることができるような気がする。

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