KEIO MCC

慶應丸の内シティキャンパス慶應MCCは慶應義塾の社会人教育機関です

夕学レポート

2005年07月20日

わからないことから逃げない 玄田有史さん 「私の仕事道」

玄田先生に夕学で話していただいたのは2回目です。前回(2003年前期)の講演では、フリーター問題の解決法について「私にはわかりません」という一言から解説がはじまったことが印象に残っていました。控室でそのお話をしたところ、「きょうもそれでいきましょうか」と悪戯っぽい笑顔を残して会場に向かわれました。
冒頭で、「私にはわかりません」のお話を紹介されたうえで、テレビに出ない理由として、テレビは「わかりません」という言葉を許容しないからだとたたみかけます。更には、学生の進路相談にあたってのポリシーとして、「迷っている奴はトコトン迷わす」と断言します。一見、投げやりで、奇をてらったかに見えるこの対応が、実はきょうの講演を貫く玄田先生の強いメッセージでした。


「私にはわかりません」という言葉の含意は、「わからないということから逃げてはいけない」ということでした。高度で複雑な社会でさまざまな要因が絡み合って生じる問題を、簡単な方程式で解こうとすることに無理がある。わからない時にはわからないことから逃げないでトコトン悩みつづけることこそが重要だということでしょう。玄田先生によれば、世の中には3万以上の仕事があるそうです。その中から、社会を知らない若者が自分のやりたい仕事を見つけられるほうがおかしい。悩むのが当たり前だというわけです。
また、玄田先生は、若者に対して安易に正論を振りかざす社会の風潮にも警鐘を鳴らします。例えば、大人は、企業はすぐに役立つ知識やスキルを持った人を求めていると言うけれど本当だろうか。実際に企業の人に話を聞くとまったく正反対の事を言う。ところが、まじめな学生はそれに真に受けて一生懸命資格や英会話を勉強している。昔は就職の決まらない学生は、勉強しなかった自分を責めたものだ。今は、まじめにがんばったうえに、就職が決まらず、自分は社会に必要とされていないのではないかと自信をなくしてしまう...社会全体を覆う切迫感が、不器用でまじめな学生達を追いつめているという面もあるのかもしれません。
玄田先生は、「わからないということから逃げてはいけない」というメッセージを一歩進めて、「壁の前でうろうろする」ことを進めているそうです。これは元フジテレビプロデューサーの横沢彪さんが、吉本興業の常務時代の新入社員に対して送った言葉とのこと。新人(若者)が仕事の壁にぶち当たることは当たり前、その時壁を乗り越えようなどと思うな。そんなに世の中は甘くない。ただ壁の前をうろうろしていることが重要だと横沢さんは語りかけたそうです。困った顔をして冷や汗を流しながら壁の前をうろうろとしていれば、誰かが上からロープを下ろしてくれるかもしれない。抜け道を教えてくれる人もいるだろう。肩車してくれる人だっているかもしれない。でも、うろうろしていなければ何もおこらない。そういうことでしょう。
また、うろうろする際の心構えとして、選択に迷った時にどうするかについて、二人の著名人のお話を紹介していただきました。「迷った時には危ない方に行くと決めている」(岡本太郎)、「迷ったら、あとで笑える方に行く」(テリー伊藤)の二つです。迷う際にもおおざっぱな方向付けがあった方がいいということでしょうか。
うろうろすることに耐えられないのは、実は我々も同じです。わからないことに耐えられない若者の存在は、すぐに答えを出したがる社会の鏡だとも言えます。随所に笑いを盛り込みながらも、玄田先生は、我々の生き方そのものにも鋭い問いかけをしているのかもしれません。
玄田先生は、この4月に希望学プロジェクトという研究をスタートされました。希望がいつでも存在するという前提が失われつつある社会で、希望を抱かせるための即効薬ではなく、希望とは何かを根本から問い直してみようという骨太のプロジェクトです。そのためのひとつのアプローチとして、挫折や絶望を乗り越えて生きている人へのインタビューを計画しているそうです。人間は必ずしも思い描いたとおりの道を歩めるわけではありません。挫折や絶望を経て、それでも投げ出さずに、その時々の状況や課題に真摯に立ち向かう中で、自分が光り輝くことができる活躍の姿を、自ら形成していかねばなりません。そこに希望への道があるということでしょうか。
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