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慶應丸の内シティキャンパス慶應MCCは慶應義塾の社会人教育機関です

夕学レポート

2005年07月26日

行動する経済学者 関満博さん 「世界の工場 中国の本質」

「行動する経済学者」関先生はそう称されています。年間の三ヶ月を海外調査、三ヶ月を国内の地域調査、残り六ヶ月を大学での活動で過ごし、365日24時間ONを宣言する行動派です。迫力ある風貌とドスの効いた声とあいまって、まさに異色の研究者といった観があります。聞けば、中国 大連生まれとのこと。関満博という名前の“満”の字は満州にちなんでつけられたそうです。中国の産業研究は天職なのかもしれません。


関先生のここ数年の研究テーマは「台湾企業の大陸進出」だったそうです。今年のその成果として『台湾IT産業の中国長江デルタ集積』という本を上梓されたそうです。きょうの講演はその内容の紹介からはじまりました。
関先生によれば、台湾企業の中国進出は件数ベースで70,000件余りで日本の倍の規模だそうです。当然日本で叫ばれている産業の空洞化現象や工場労働者の失業問題が心配されますが、そういう事態には陥っていないそうです。なんと100万人以上の台湾人が中国で就業しており、その数は人口の4%~5%にも相当します(ちなみに日本の中国での就業者は8万人)。日本の失業率がちょうど同じ位ですから、いかに多くの台湾人が大陸に渡っているのかがイメージできるでしょう。もちろん中国大陸は台湾にとって母国でもあるわけで、日本と同じ土俵で比較するには無理があることは当然ではありますが、自分のキャリアを活かす場があれば躊躇なく海を渡ることができる、したたかな生命力が台湾の強さなのでしょう。関先生は、人口流動性以外にも、台湾企業の特徴として、土地や建物にこだわらない合理主義、大規模な設備投資に躊躇しない度胸の良さなどあげており、いずれも日本企業には真似の出来ない組織能力だと指摘されました。
具体例として、広州、蘇州地域に進出する台湾のIT企業の事例を、それこそルポライターのごとくに生きいきとした描写で、具体的に紹介していただきました。
そんな台湾企業も到底かなわないと舌をまくのが、2000年頃から登場しはじめている中国の「民営中小企業」と呼ばれる新興企業群です。いわば中国ベンチャー企業群といったところでしょうか。関先生はそんな企業を、いくつも、熱っぽく紹介されました
27才の青年経営者は、貧しい福建省から一旗あげるべく15才で深せんに出て、19才で会社を興し、現在では1000人規模の金型工場を育て上げました。
65才の元国営企業勤務の老経営者は、61才で起業し、現在最新鋭の設備を誇る金型工場を経営しています。20年前に日本で見た、進んだ金型製作技術にショックを受けて以来、“いつの日か”をずっと夢見てきたそうです。
老いも若きもエネルギーに満ち溢れ、いままさに昇竜の勢いに乗る企業が群雄割拠しているようです。関先生は、この「民営中小企業」を新たな研究テーマと定めて調査をスタートさせたところです。北京、大連、無錫、深せん、広東の5都市をベンチマークし、定点観測をはじめたそうです。それぞれが地域性を生かした独自のモデルを作り上げており、5都市を観ることで中国の全体像がつかめるとのこと。新たな研究成果が楽しみです。
関先生が強調されている台湾・中国企業の特徴は一言でいえば、「エネルギーと国士的使命感」でしょうか。それは、130年前には日本にも満ち溢れていたものだったのかもしれません。岩崎弥太郎も渋沢栄一も福澤諭吉もそんな時代的エネルギーに押されて生まれてきたのでしょう。となれば、いまの日本が中国と同じ土俵で戦うのは無理なのかもしれません。成熟した民主主義国家を基盤にして、高度な科学技術と弛まぬ改善力を武器に、中国とどう戦い、協力していけばいいのか、7/17の新宅先生のデータに基づく客観的な分析とあわせて考えるとはっきりとした道が見えてくるような気もします。
最後に、会場からの質問を受けて、関先生がおっしゃった言葉が印象に残りました。中国とどう付き合うのかを考える時、我われに無意識に埋め込まれた中国に対する複雑な心境を冷静に見詰めなおす必要があるという指摘です。中国が1000年以上にも渡って最先端の文化と技術の提供国であったという歴史的事実から来る劣等感、この150年の中国の内政と外交に失敗に対する侮蔑感、日本が侵略戦争を起こしてしまったという負い目、それらが複雑に絡み合って生じる「中国が上手くいくはずがない。上手くいって欲しくない」という潜在的な妬み。我われの深層に刷り込まれているそれらの誤った意識を直視することから、中国との付き合い方ははじまる....
現場を見るだけでなく、本音で語り合ってきた人ならではの重い一言でした。
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