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夕学レポート

2011年02月02日

菊澤研宗教授による【ドラッカー再発見】 その2

ピーター・ファンデル・ドラッカーは、1909年ウィーン生まれ。
落日前のオーストリア=ハンガリー帝国で、上流知識人階級の子弟として育ちました。
オーストリア政府の経済官僚であった父親が主催する週毎のパーティーは、多くの知識人・文化人が集まる知的サロンであったといいます。
早熟だったドラッカーは、幼いながらもサロンに顔を出し、シュンペーターやハイエク、フロイト等と親しく会話を交わしました。
しかしながら、第一次世界大戦での敗北、続いて襲ってきた世界大恐慌の荒波を受けて、その生活も一変していきます。ドラッカーも、事務員やアナリストとして働きながらフランクフルト大学を卒業したといいます。
大学卒業後、ドイツで新聞記者として活躍し始めたドラッカーは、急速に台頭してきたナチスの取材にもあたります。ヒトラーやゲッペルスの単独インタビューも行いました。
民衆の熱狂的な支持を受けてナチスが政権を握る中、ドラッカーは、欧州伝統の「自由」が否定されていく風潮に大きな危惧を抱き、イギリスへ移住を決意しました。
瞬く間に欧州を席巻していったファシズムの嵐の中で、それに棹さす決意で書き上げたのがデビュー作である『経済人の終わり』でした。
「ヨーロッパ知識人の伝統的価値観である「自由」を脅かすファシズムに対抗し、「自由」を守る意思を固めることを目的としている」
菊澤先生は、この本をそう概観します。
ドラッカーは、ファシズム全体主義は何故ヨーロッパに跋扈しているのかをいくつかの角度から分析しています。
・20世紀の経済社会を担うと期待されたアダム・スミス的な初期資本主義が世界恐慌の前にあまりにも無力であったこと。
・労働者の自由と平等な社会を実現してくれるとして期待を集めたマルクス主義が幻想でしかないことが明からになったこと。
・長らく欧州社会救済機関として機能してきたキリスト教組織も、大変化の前には、私的な精神安定装置にしかなり得なかったこと。
ドラッカーの洞察は、多少の編集を施せば、百年後の現在の混迷状況を分析する言葉としても有効です。
「ヨーロッパの伝統的価値観であるはずの「人間の自由と平等」を基礎とする社会が形成されなかったことが問題。 それは、「経済人」の時代の終わりであり、新しい時代の必要性を示している」
菊澤先生は、ドラッカーの主張を、このようにまとめてくれました。


講義を受けてディスカッションは、「全体主義」がテーマです。
全体にこそ唯一絶対の価値がある。個々は全体の中に位置づけられ、関係づけられることで存在価値を持つ。
全体の価値が高まって、はじめて個々の価値も高まる。
従って、全体のために個人の犠牲が生ずることも仕方がない。
この解説だけを聞けば、「全体主義」は排斥すべき対象であることは明白で、議論が生まれる余地はありません。
しかし、菊澤先生は、挑発的な問いかけを投げかけてきます。
「本当にダメなのですか」
「わたし達自身も、全体主義的に振る舞うことがあるのではないですか」
・誰もが知っている大企業の一員として働くことで、自分という価値と存在感が与えられてはいないだろうか。
・全体の「空気」をなによりも気づかい、「空気」が読めない人間を排斥することはないか。
誰もが無自覚的に頼っている「全体主義的な振る舞い」「全体主義的な恩恵」の存在を気づかせてくれます。さらに一歩進めて、組織運営のために、全体主義的に振る舞うことが必要な時期・状況もあることに言及します。
全体主義=悪、と片付けることは簡単なことですが、それは全体主義を防ぐ手立てにはなりません。
・なぜ人々は全体主義に頼るのか。
・全体主義の限界は何か。
・全体主義を使わざるを得ない時はどのように使うべきか
容易に答えの出ない問いを、自らに問いかけることで、「内省」が深まっていくのかもしれません。

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