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夕学レポート

2012年07月06日

史実からみた天皇の実像  本郷和人さん

photo_instructor_619.jpg本郷和人先生が在籍されている東大史料編纂所は、江戸時代に起源を持ち、幕府、明治新政府、東京帝大と引き継がれた歴史ある修史研究所で、我が国の日本史研究の基礎となる第一級の史料を数多く所蔵しているという。
この由緒正しい研究機関が、組織的に取り組んでいる仕事のひとつが、「大日本史資料」の編纂である。
これは、1901年から現在まで続けられている国史編纂事業のようなもので、年月日順に、何が起こったのかをコツコツと記録編集する作業だという。
1年分の記録を編纂するのに10年かかる。学者人生30年として、一人の学者が一生をかけて3年分。
いま現在で、寛永16年(1639)までが刊行されているとのこと。
途方もなく壮大というか、気の遠くなるような地味な仕事というか...。
まあ、たいへんな仕事である。
一方で、本郷先生は、大河ドラマ「平清盛」の時代考証もやっている。
週に一度はNHKに出掛け、視聴率も気にしながらも、皆でワイワイと歴史ドラマを作っている。ユーモアに満ちた明るい人である。
そんな本郷先生が語る「天皇論」
ご専門である、中世日本の「国のかたち」を研究するうえで、天皇の存在は大きなポイントになるようだ。
この時代の「国のかたち」の変容は、天皇制が変質していく歴史に他ならないのだから。
昨今、皇位継承問題、女性宮家創設問題など、天皇・天皇制を巡る議論は、ひとつの政治課題でもある。いろいろな考え方があるのはよいことだが、歴史学者の立場でみると、少し違和感がある。
科学的な根拠(史実)に基づいた「天皇の実像」が語られていない。
本郷先生は、そんな感想をもっている。
本当のところの天皇はどんな存在だったのか。
天皇制が変質していった日本の中世を本郷先生はどう観ているのか。
きょうの夕学は、こういう話であった。


さて、まずは中世という時代について確認しよう。
「中世は武士の時代である。鎌倉幕府の成立によって、権力は天皇・貴族から武士へと移行し、武士の世が始まった」
少なくとも我々の高校時代の日本史ではそう学んだ記憶がある。
しかし、そんな単純なものではないようだ。
黒から白へと駒の表裏が転換するようにして、朝廷の世から武士の世へと変わったわけではない。
黒と白の間に、長いグレーゾーンがあった。
グレーの時代をどう読み解くか、それが戦後の中世歴史学の論点になってきたという。
京大を中心とする学者グループは、「権門体制論」を唱えた。
貴族・武士・僧侶の三者が、それぞれ政治、軍事・統治、祭祀を分権的に担い、相互補完しながら天皇(上皇)を支える体制が、鎌倉時代になっても続いていたと考える。
一方で、東大の学者グループは、「東国国家論」を唱えた
将軍を頂点する支配体制=武士の世は、東国(鎌倉)を中心に存在し、京都では従来通りの朝廷支配が並立していた、とする二元国家論である。
この発展系として、東西王権論、東北も加えた三つの王権論などが提唱された。
この歴史観の違いは、「天皇の実像」はどうであったのかという理解と密接に関連する。
天皇の権力が、実際のところ、どこまで残ったのか、あるいは衰退したのか。
これが両者の分岐点になる。
もちろん本郷先生は後者の立場である。
鎌倉時代になって、特に承久の乱を契機として、天皇の権力は一気に衰退し、限定的になった。
詳細は省くが、講演では、その根拠となる文書や古記録を示しながら、鎌倉から室町へと、時代の推移とともに、天皇の力が衰微していくさまを描写してくれた。
衰退が行き着くところまでいったのが戦国時代で、戦国の覇者 信長の治世がもう少し続いていたら、ひょっとしたら天皇制はなくなったかもしれない。
比叡山焼き討ちや石山本願寺壊滅をやった信長なら、やりかねなかった。
それほどまでに、天皇はいてもいなくてもよい存在、天皇制はあってもなくてもよい制度になっていた。
それが、文献史学からみた、中世の「天皇の実像」である。と本郷先生は考えている。
では、なぜ天皇制は1500年以上も続いてきたのか。
本郷先生は、その理由を、「時間」「情報」だと理解している。
天皇制は、鎌倉幕府が成立する時点で、すでに700年も続いていた。源氏、北条、足利と繋がる武家政権にとってみれば、その「時間」は、十分尊重すべき、残しておくべき価値を感じさせた。 それがひとつの理由。
天皇家には、長く権力の座にあったゆえに蓄積された「情報」があった。例えば、徴税ノウハウ、冠位授与や公職名付与のやり方、為政者の威光を際立たせるうえで不可欠な有職故実の知識。いずれも新興勢力である武士にはないもの、すぐには代替できないものであった。だから価値があった。 それがふたつ目の理由である。
お気づきのように、本郷先生の天皇論は、よく耳にする天皇論、天皇制論とは少し違う。
万世一系の天皇制が続いてきたのには意味があった。
たとえ権力は失っても、天皇には宗教的、文化的、心情的な権威があり、日本人の心性において欠かすことができない存在である。
だからこそ、従来の制度を安易に変更するべきではない。
それが保守的な立場を取る人の論であろう。
その論はあまりに情緒的に過ぎないのではないか。
「日本にとって天皇とは何であったのか」をもう少しだけ冷静に議論してもいいのではないか。
そんな問題提起だと感じた。

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