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夕学レポート

2012年07月12日

囲碁を打つ喜び 吉原由香里さん

photo_instructor_627.jpgわが社の保谷範子は、吉原由香里さんの小学校時代の同級生である。
彼女によれば、小学生時代の「ゆかりちゃん」は、なんでもできるスーパーガールだった。
勉強は出来る。運動神経もいい。とびきり可愛い。
しかも囲碁という、普通の小学生には不可知の世界で大活躍をしているらしい...。
周囲からは、そんな天才少女に見えた。
当然ではあるが、ご本人の意識は少し違ったようだ。
負けん気が強いという生来の気性もあって、がんばったことは事実だが、本音を言えば、「星一徹」化した父親に引っ張られるように、囲碁の世界を泳いでいた。
「父が喜ぶ顔をみるのがモチベーションだった」とのこと。
早熟な棋士は、男女を問わず幼少期からプロを目指すものらしい。
小学校六年生でプロになる人もいる。
そういう人達に比べると、どこか「本気度」が薄い。
それをご本人が一番よく自覚していたようだ。
自覚は、「本番に弱い」という形で現れた。
肝心の時に限って、勝てるはずの対局に負けることが多かった。
中二でプロを目指す決心をしたが、プロ試験には落ち続けた。
日本に女性のプロ棋士は80人しかいない。
プロ試験は年に一回。しかも一位になった者しかプロにはなれない。
とてつもなく狭い門である。
何年も落ちるのも当たり前なのかと素人は思うが、本人にはそうは思えなかった。
吉原さんの場合は、実力的には抜き出ていると自他ともに認めているのに、プロ試験の時だけは二位にしかなれない。
いざという時に勝ちきれない。
ついには、18歳、慶應SFC入学と同時に、囲碁から離れ大学生活を謳歌する生活を選んだ。
このあたりの挫折と葛藤は、バイオリニストの千住真理子さんとよく似ている。
天賦の才に恵まれている人間であっても、逆にそういう人間だからこそ、我々にはうかがい知れない悩みがある。
吉原さんは、大学三年の時、再度プロ挑戦を決意した。
囲碁の道を拓いてくれた父親の死が、吉原さんの「本気度」に火を付けてくれたのかもしれない。
卒業と同時期にプロ試験に合格する。
慶應卒の美人棋士を囲碁界は放っておかなかった。対局とテレビ出演で、たちまち忙しくなった。順調に段位を昇る一方で、監修した漫画『ヒカルの碁』が大ヒット。
若者、女性の間で空前の囲碁ブームが沸き起こり、その主役のひとりになった。
ただ、「本番に弱い」というクセはなかなか抜けなかった。
タイトル戦は準優勝ばかり。どうしても最後で勝ちきれない。
思い悩んでメンタルトレーニングを受けたりした。
そんな時に、テレビでイチロー選手のインタビューに出会った。
「プレッシャーはどうしたってある。重要なのはプレッシャーがある状態でどう戦うかだ」
自分は、いつもプレッシャーを抑えつけようとして失敗していた。抑えるのではなく、受け入れたうえでどう戦うか。
そう思えるようになったことで、ひと皮むけることができたという。
2007年に女流棋聖戦を初めて獲得し、以降三連覇を成し遂げる。
学生時代、囲碁から離れていた頃に、自分を見つめ直す機会があったという。
これまでの人生の喜び、楽しみ、興奮etc。こころに残る経験の全てが、囲碁を通してのものであることに気づいた。
いま、吉原さんは、昨年生まれたばかりのお子さんを慈しみながら、家事・育児・対局・囲碁プロ-モーションと多忙な毎日を送っている。
囲碁ファンを増やすためにIGO AMIGOという楽しそうな活動もはじめている。
父と分かち合うことからはじまった囲碁を打つ喜びが、多くの人へと広がっていることを実感できること。それがいまの吉原由香里さんのモチベーションなのかもしれない。

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