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夕学レポート

2012年11月14日

ルネサンスはどうやって起きたのか 池上英洋さん

西洋人の精神と思考の基底に流れているのは「古代ギリシャ・ローマの文化」と「キリスト教」だと言われている。
ただし、この両者は、本質的には相容れない性質のものである。
古代ギリシャ・ローマは多神教。キリスト教は言わずと知れた一神教。原理が違う。
ギリシャ神話を読むと、最高神ゼウスのむき出しの欲望は半端ではない。気にいった女性がいれば、人妻だろうが構わずに自分のものにしてしまう。
その自由奔放さは、キリスト教的倫理観と対極にあるものだ。
実際に、古代ギリシャを範として国作りをしたローマ帝国は、当初の数百年間キリスト教を徹底的に弾圧した。
逆に、キリスト教的世界観が社会を覆い尽くした中世ヨーロッパでは、ホメロスやプラトンは忘却の彼方に置き去られた。
両者が約千年の時間を隔てて、再度出合い、大輪の華を咲かせたのが「ルネサンス」であった。
そこには、出合うための理由があった。
池上英洋先生の話は、そういう話であった。
池上先生は、このふたつの絵画を比較しながらルネサンス美術の三つの特徴を解説してくれた
マゾリーノの「アダムとエヴァ」     マサッシオの「楽園追放」
35074cef-s.jpgのサムネール画像img_1137286_43271194_4.jpgのサムネール画像のサムネール画像のサムネール画像
三つの特徴とは「空間性」「人体把握」「感情表現」である。
なるほど、ほぼ同時期に描かれた二つの絵画なのに、右側の「楽園追放」には、それがあり、左側の「アダムとエヴァ」には欠けていることが一目瞭然であろう。
テーマは同じ宗教画であっても、そこに豊かで瑞々しい表現力を加味することで、芸術性が増す。
ルネサンス期の芸術家達に、それを教えてくれたのは、忘れ去られていた「古代ギリシャ・ローマの文化」であったという。


再発見のきっかけは、十字軍遠征であった。
イスラム世界に支配されていた聖地(エルサレム)の奪還を合言葉に、中世ヨーロッパ社会が結集して行われた八度に渡る大遠征は、政治的には失敗に終わったが、はからずも副次的成果をもたらした。
戦争商人としてのベネツィアの興隆である。
ベネツィアの商人は、十字軍遠征隊に対して、物資や食糧を提供しただけでなく、武器や兵士、船までもレンタルした。
しかも、安く提供する代わりに、征服地の一部割譲を契約条件に含めたのだ。
こうして、彼らがイスラム世界やビザンチンから簒奪した富のひとつに、「古代ギリシャ・ローマの文化」があった。
例えば、ベネツィア サンマルコ広場の四頭の馬
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BC2~3世紀のヘレニズム彫刻である「四頭の馬」のリアルな表現力に、中世ヨーロッパの人々は驚いたであろう。
さらには、プトレマイオスの『アルマゲスト』149601.jpg
プトレマイオスは、ローマ帝国の属国であった2世紀前半のエジプトアレキサンドリアで活躍したローマ人天文学者である。
この本は、アラビア語に翻訳されイスラム世界の科学に貢献していたが、ヨーロッパ人は、その存在さえ忘れ去っていった。
さて、ベネツィアがもたらした富は他地域にも波及し、フィレンツェ、ジェノバなどの各地で商人の台頭につながっていった。
彼らは、業種毎に同業者組合=ギルドを形成、経済的、政治的影響力を高めた。
それは、やがてコムーネと呼ばれる都市国家へと発展し、イタリア半島全域に広がっていった。彼らは、王や教会と並び、文化のパトロンとして、ルネサンスを支えることになる。
台頭した商人は地中海を舞台に広範囲に人と商品を動かし、経済活動が活発化した。
その必然として貨幣の信用保証機能が必要とされ、金融業が発生した。
十字軍の時代にはテンプル騎士団が、その役割を果たし、やがて両替商と呼ばれる事実上の銀行業が隆盛していった。
ルネサンスを語るに際して欠かせないフィレンツェのメディチ家は、後発の銀行家である。
先行の銀行家が、英仏百年戦争のあおりを受けて、貸し付けを踏み倒されて倒産していったことで、急激に力を伸ばしていった。
メディチ家は、ミケランジェロをはじめ、ルネサンスの芸術家のパトロンとなり、フィレンツェは、ルネサンス期の経済的・文化的な中心に発展していった。
それでは、ルネサンス期に活躍した政治家や芸術家が再発見した「古代ギリシャ・ローマ」とはいったい何だったのか。何が彼らを魅了したのか。
それは、人間という存在が放つ可能性であり、自由な表現活動、であったようだ。
「空間性」「人体把握」、「感情表現」というルネサンス美術の特徴も、ここから生まれている。
また、都市国家コムーネの政治体制は、古代ローマの共和制を範とした。
ルネサンス芸術の多くは、中世と同じで、あくまでもキリスト教をモチーフにしている。
しかし、そこに描かれる神や人間の姿・表情には、人間ならではの肉体美、人間くさい感情、人間の動きが溢れている。
それは、サンマルコ広場の四頭の馬に共通するものだ。
キリスト教は、神への信仰を通して人間に「倫理」と「秩序」を与えた。
一方で、キリスト教は、人間の欲望を制御することで、瑞々しい創造力、表現力を抑圧してしまったとも言える。
ルネサンスは、古代ギリシャ・ローマの再発見を通して、失ってしまった創造力、表現力を取り戻す運動でもあった。
メディチ家の例を見るまでもなく、ルネサンスを支えたのは、人間の経済的・政治的な欲望であった。
皮肉なことに、その欲望が、ルネサンスに終焉をもたらした。
大きくなりすぎたメディチ家の権勢は、コムーネの運営を共和制から疑似君主制へと変質させていった。いわゆる一族支配である。
ルネサンス期の経済と文化の隆盛は、やがて近代の三大技術革命(火薬、羅針盤、印刷技術)を産み出した。
それは、大航海時代、宗教改革への扉を開くこととなり、経済・文化の中心は、ルネサンスの華が咲き誇った地中海世界から西ヨーロッパ、大西洋へと移っていく。
こうして、ルネサンスは、約150年間で終わりを迎え、イタリア半島は再び争乱の時代へと突入していくことになる。

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