夕学レポート
2012年11月13日
現場を知る方法論 西川善文さん
「ラストバンカー」西川善文氏のバンカーとしての背骨を形成したのは、入社3年目、25歳から6年間を過ごした調査部の経験だったという。
調査部で、西川さんが担当したのは、マクロ経済の分析を担うシンクタンク的な調査ではなく、個別企業の経営状況を、微細まで立ち入って調べ上げる信用調査に近いものであった。
どちらかと言えば泥臭い仕事である。
西川さんはこの仕事が性に合ったようだ。調査部6年というのは、当時の住友銀行では異例の長さだったという。
西川さんが調査部で形成した、バンカーの背骨とは何か。
それは「現場を知る方法論」ではなかったか。
調査対象の多くは、非上場の中小企業である。 財務諸表の行間や裏側を読む必要がある。
西川さんは、対象企業にお願いして、伝票類まで丹念に目を通したという。
疑問があれば、役員や社長に直接質すこともしばしばあった。
対象企業を切り捨てるためではない。どうすればこの会社をよりよく出来るかを考えるためである。
実際に、緊急の救済融資を仲介して、窮地を救ったこともあったという。
この時身につけた「現場を知る方法論」は、西川さんのバンカースタイルを決定づけた。
安宅産業の処理、イトマン事件、不良債権処理、大合併、旧住友銀行の経営を揺るがしかねない大きな困難が発生する度に、西川さんが登場した。
安宅やイトマンは、その傘下にいくつもの子会社を抱えていた。それぞれ業種も違えば、業界でのポジショニングも違う。十把一絡げにして処理・救済するわけにはいかない。
精算した方がよい会社、売却先を探した方がいい会社、自立してやっていける会社。
それぞれ、現場を訪ね、社長を見極め、市場を確かめることで、扱いを変えていかねばならない。
イトマンの場合には、そこに闇の勢力が入り込んでいることもままあった。
この難しい課題を引き受けて、現場に足を運び、もつれた糸をほぐすように解決の道を見つけ出せる人材は、西川さんをおいていなかったということであろう。
その実績が、西川さんを頭取の座へと引き上げた。
著書『ザ・ラストバンカー』の中で、西川さんは次のように記す。
リーダーシップとは、直面する難題から逃げないことである。
リーダーが逃げないから部下も逃げないし、前のめりで戦う。経営の責任者とはそういうものではないだろうか。
敵の銃弾に姿を晒すことを恐れずに、前面に出て戦う。
顔の見える最後のバンカー「ザ・ラストバンカ-」たる所以であろう。
そう考えると、郵政民営化の責任者として、日本郵政のトップに西川さんを送り込んだ小泉-竹中ラインの人選は極めて的確であったと言える。
ただ、選んだ当人達がさっさと退いた後に、現場にひとり残された西川さんは気の毒であった。そこは、西川さんが培ってきた「現場の方法論」を発揮する余地のない、政治的思惑に満ちた世界だったかもしれない。
「政治音痴」が招いたことと、本には書いているが、内心忸怩たる思いがあったと思う。
最後の年(2009年)は、国会に招致された回数が33回。その都度「いじめ」と見まがうような糾弾を受けた。
MCCのオフィスがある三菱ビルの目の前に東京中央郵便局がある。
「トキを焼き鳥にして食べるようなもの」という迷言を吐いた某大臣が、マスコミを引き連れて解体工事中の局舎にやってきた大騒動の様子を、オフィスの窓から見ていた記憶がある。
現役時代の西川さんは気性も激しく、歯に衣着せぬ物言いで他者を威圧する凄みのある人だったと聞くが、昨夜の西川さんは、好々爺然とした風情を漂わせていた。
高度経済成長期の前夜にバンカーの道を歩き出し、激動の金融業界を生きてきたザ・ラストバンカ-の目に、新装なったJPタワーはどのように映ったのだろうか。
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