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夕学レポート

2012年12月06日

「任せて文句をたれる」ではなく「引き受けて考える」  宮台真司さん

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講演終了後、現下の総選挙について宮台先生と意見を交わす時間があった。
「選択肢だけは多いが、入れるべき政党がみつからない」
それが、一致した意見であった。
この現象も、日本の民主主義が上手く行っていない証左と言えるだろう。
では、なぜ民主主義は上手く行かないのか。
宮台先生によれば、民主主義の機能不全は、実は日本のみならず、世界の先進国で起きている現象だという。
原因のひとつはグローバル化にある。
グローバル化への直裁的な対処と民主制の両立が困難であるからだ。
グローバル化は、新興国の貧困を解決するためには必要で不可避な道である。しかしながら一方で、先進国の中間層を没落させ、格差社会を産みだし、民衆の不安と鬱屈を臨界点にまで高めることも避けられない。
欧州でもアメリカでも、質は異なれども、ポピュリズムや原理主義が台頭し、民主主義の機能不全が起きている。
では、どうすれば民主主義は上手く行くのか。
宮台先生は、丸山真男の理論フレームワークを用いて解説してくれた。
民主主義を支えるのは自立した個人の存在である。
自立した個人を産みだし、支えるのは自立した共同体しかない。
つまり、「自立した共同体」→「自立した個人」→「妥当な民主制」という矢印が成り立つ。
民主主義の機能不全は、この逆の力学が駆動している状態である。
共同体が国家や権力に対して依存的で自立していない。
依存的な共同体は依存的な個人を拡大生産する。
依存的な個人が形成する民主主義はデタラメにならざるをえない。
「依存的な共同体」→「依存的な個人」→「デタラメな民主制」
こういう図式である。
つまり、民主主義が機能するかどうかは、なにはともあれ「自立的な共同体」の樹立にかかっている


丸山真男は、前者のメカニズムが機能していると見た欧米社会を理想化し、後者の典型を戦前の日本社会の失敗に擬えた。
宮台先生は、このフレームワークの有効性を認めつつも、丸山の欧米理想化論がグローバル化によって無効化し、欧米も含めて、後者の依存メカニズムの陥穽に陥っているとみる。
世界の先進国で、民主主義が彷徨している、という見解である。
では、どうすればいいのだろうか。
宮台先生は、欧米を理想化し、日本もそうなるべきだと唱えた丸山真男の失敗を踏まえて、「自立的な共同体」の樹立に向けた明確な戦略を語った。
依存的な精神が染みついてしまった共同体の「心の習慣」=エートスは、べき論では変わらない。社会構造をいじることからはじめなければならない。
「自立した共同体」が自然形成されるように、社会のあり方を設計しなければならない。
宮台先生は、二つの設計指針を提示する。
1.社会の問題に人々が「参加」するように社会のあり方を設計すること。
「参加」という指針は、私たちに対して次のメッセージに変換される
「任せて文句をたれる」という作法をやめて、「引き受けて考える」という作法に変える。
「空気に縛られる」という作法をやめて、「理性を尊重する」という作法に変える。
2.不安と鬱屈を抱えた人々を「包摂」するような社会のあり方を設計すること。
そういう人々を承認し、共同体のうちに囲い込んで孤独化させない、ということである。
宮台先生は、行動する社会学者らしく、処方箋も語る。しかも彼自身が、世田谷区というホームフィールドで、それを実践している。
「ワークショップ」や「公開討論会」を繰り返し行い、人々の「参加」と「包摂」を促し、熟議を積み重ねたうえで、「住民投票」で決定する。
というものだ。
http://www.miyadai.com/index.php?itemid=955
宮台先生は、医療の世界で起きている動きを例にして説明してくれた。
かつて、医療は専門家である医師の決定に全てを委ねていた。患者は医師の見識や技量を評価する機会はなかった。
現在は、インフォームドコンセントとセカンドオピニオンという処方箋が一般化した。
患者は、医師から丁寧な説明を受け、必要に応じて他の医師の意見と比較することができる。そのうえで、非専門家である患者自身が医療方針を決定する。
自分や家族の命・健康を守るために普及した上記のような作法を、社会の問題を解決するために採用しようというものだ。
「参加」と「包摂」を踏まえた熟議を積み重ねると、魔法の杖のような解決策や極論は、自ずと排除されていく。ポピュリズムや原理主義とは異なった道を拓くことになる。
それは、困難で苦しい道かもしれないけれど、はるかな先には光明が差し込んでいるはずだ。
なによりも、自分達で選択し、納得して歩き出す道である。
自立した共同体の自治に必要なのは、「価値」と「リアリティ」だという。
価値がいくら輝いてもリアリティがなければ実現できない。
リアリティだけがあっても価値がなければ、変革はできない。
「価値」と「リアリティ」
冒頭の選挙の話題に戻れば、残念ながら、新党も含めて、この二つを具備している政党があると思えないというのが、宮台さんのジレンマではある。
ただ、それは、私たち有権者の側が「価値」と「リアリティ」を持つことから始めなければならない。

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