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夕学レポート

2012年12月11日

中野 剛志「異端の思想 経済ナショナリズムとは何か」

中野 剛志
京都大学大学院工学研究科 准教授
講演日時:2012年5月25日(金)

中野 剛志

中野氏によれば、国際関係論や国際政治経済学などの学問領域においては、本来3つのイデオロギーがあるのだそうです。イデオロギーというのは、世界はどのように動いているのか、あるいは動くべきかについての考え方であり、世界観とも言えるものです。

3つのイデオロギーのうち、私たちに最もなじみがあるのが「経済自由主義」です。経済の動きは、いわゆる「市場のメカニズム」にゆだねるべきであるというもので、今日の多くの経済学者の基本的な考え方になっています。これは、資本主義を支えてきた理論体系で、アダム・スミスの『国富論』を発端として、膨大な理論がこれまで積み上げられてきています。2つ目は、「マルクス主義」です。創始者は言うまでもなくマルクスで、東西冷戦時代には、自由主義経済を標榜する西側諸国に対して、東側諸国が採用した経済理論です。こちらも、しっかりした理論体系が作られています。

3つ目が、中野氏が主な研究分野として取り組んできた「経済ナショナリズム」です。経済ナショナリズムは、確固たる理論体系がなかったこともあり、学術的ではないと考えられてきました。それは、国の指導者の思い込みや偏見、利己的な感情に基づく、「態度」や「姿勢」であり、間違った思想だともみなされてきたのです。たとえば、オイルショックは、中東産油国が協調して行なった、原油価格の一方的な引き上げがもたらしたものですが、資源ナショナリズムと非難されました。また、発展途上国が、自国の産業を守るために輸入産品に対する関税を引き上げることは、しばしば保護主義だとして非難されてきました。

そもそも、ナショナリズムという言葉はまがまがしい響きがあり、消極的なイメージを持っているため、経済ナショナリズムは経済自由主義や、マルクス主義とは異なる扱いを受けてきたのだそうです。しかし、中野氏によれば、80年代から、社会学の分野において、ナショナリズムはごく普通の考え方であり、決して病理的であったり、アブノーマル(異常)ではないこと、そしてまた、経済自由主義や民主主義とも密接な関係があり、理論的にも整合性があることが提唱されるようになってきました。90年代以降は、中野氏だけでなく、世界の研究者が、経済におけるナショナリズムを研究テーマに選び、多くの論文が発表されるようになりました。

さて、経済ナショナリズムについて理解するためには、まず、ナショナリズムがどんなものかを理解する必要があります。「NATIONALISM(ナショナリズム)」の名詞形、「NATION」は、国民、人民といった意味です。国民は、歴史や伝統、国土、文化、言語、経済等を共有する人々です。国民は、民族とは異なります。民族に対応する英語は「ETHNICITY(エスニシティ)」です。世界の多くの国では、複数の民族で国民が形成されています。日本のように、ほぼ単一の民族で国民が構成されている国は珍しいのです。たとえば、英国は、Scottish(スコットランド人)、English(イングランド人)、Irish(アイルランド人)といった民族で構成されており、それぞれの民族としての自覚を持ちつつ、同時に、British(英国人)という英国国民としての意識もあります。

前述したように、NATIONは国民、人民といった意味です。したがって、NATIONALISMは、国民に対する忠誠心や同胞意識となり、経済ナショナリズムは、経済領域における国民主義=「経済国民主義」と表現できます。これは、端的には、「自国の国民を豊かにするための経済学」と言えます。留意すべき点は2つあり、第一に、個人ではなく、国民の視点であること。第二に、富自体よりも、富を生む力、増やす力が重要だと考える点です。これは、市場での自由競争を通じて、個人間の富の配分の効率化に重点をおいてきた、近代経済学との違いです。なお、富を生む力、増やす力は、「国力(National Power)」と言い換えることができます。

中野氏は続いて、経済ナショナリズムだと誤解されている考え方を解説してくれました。まず、よく同一視されるのが、「重商主義」だそうです。これは、簡単にいえば、輸入よりも輸出を増やす、端的には他国の市場を奪うことで貿易黒字を達成し、自国が保有する金(きん)を蓄積しようとする考え方でした。しかし、そもそも、アダムスミスは、重商主義的に、いくら金を増やしても国が豊かになるわけではなく、むしろ、商品や情報などをお互いに自由に交換しあう自由貿易こそがお互いの国を豊かにするとして、『国富論』を書いたのです。経済ナショナリズムは、アダムスミスよりも前に戻るような考えではありません。

また、関税を引き上げて自国の市場を守ろうとする「保護主義」は、経済ナショナリズムにおいては、あくまで目的を達成するための手段にすぎません。経済ナショナリズムは、目的に応じて保護主義的になったり、あるいは自由貿易に切り替えたりするということを許容します。そして、経済ナショナリズムは、「排外主義」でもありません。自国の国民の豊かさを第一に考えるからといって、常に他国を排除するとは限りません。他国との協調を図ったほうが、国民の豊かさにつながる場合もあるからです。このように、経済ナショナリズムは、富を生む力、増やす力、すなわち「国力(National Power)」を高めるために、「手段」として様々な政治・経済政策を採用するのです。そして、その主体は「個人」ではなく、あくまで「国民」にあります。

現代の民主主義では、政治の参加主体は国民です。すなわち、歴史、伝統、国土などを共有する人々が、国の政治に参加しています。ナショナリズムの主体も国民ですので、実のところ、近代民主主義とナショナリズムは同時発生しているのだそうです。民主主義国家においては、政治・経済の主権は国民にあるということ、そして、自分たちの国の運命は自分たちで決めたいという「国民自決権」への強い意思が、国民運動の動機であり、国力の源泉となるからです。したがって、国民自決権を侵害するようなもの、たとえば、外国による攻撃・内政干渉、外国資本による支配、グローバル市場の変動、大規模災害などに対処することが「国家安全保障」です。国家安全保障は、具体的には、軍事的安全保障、食料安全保障、エネルギー安全保障が核となります。ですから、国がどんな社会を理想として掲げるにせよ、その実現には、幅広い範囲での自決権を確保する必要があります。そのために安全を保障するのが政府の基本的役割です。すなわち、安全保障は、右翼/左翼、保守/リベラルといったイデオロギーや価値観の違いに関わりなく大切にすべきことなのだと中野氏は考えているのです。

中野氏は、安全保障は、ナショナル(国民的)な性格を持っていると指摘します。これは、国家・国民によって異なる固有の状況に影響を受けるということです。軍事的安全保障は、「地政学的条件」が大きな影響を与えます。日本のような島国であれば海軍が重要になってきますが、欧州など他国と地続きの国々では陸軍が重要。また、食料安全保障については、自国民が何を主食としているか、農地では、どんな農産物が収穫できるか、といった国土・自然環境を考慮しなければなりません。

関税を原則100%撤廃し、自由貿易化を目指す「TPP(環太平洋経済協定)」に対し、中野氏が基本的に反対のスタンスを示している理由のひとつは、食料は国民生活に不可欠な必需品であり、自然環境に左右されやすく、需給のコントロールが難しいため、食品安全保障の確保が困難になるからです。実のところ、食料に関しては、どの国も、国民を餓えさせないために、いざという時には自国内の供給が優先されます。米国でさえ、1973年にニクソン大統領が大豆の輸出を一時的に禁止しました。ですから、経済ナショナリズムでは、外国と比較して競争力のない日本の農産業をただ単に保護する、あるいは既得権益を守ろうとしているということではなく、食糧安全保障を確保し、ひいては国民自決権を確保し、日本国民による政治・経済運営を可能としている「民主主義(体制)を守る」という大きな目的を見据えているのです。

中野氏は、最後に、今後も起きると予想される様々なグローバル経済の危機や、強まる他国の攻撃的性格、デフレ、大震災といった内外の危機を克服するための力となるのが、「国力=国民の力」であること、そして、国力を発揮するための条件整備として、また同時に、国力を防衛するための防衛線として、安全保障を確保するために必要な政策、外交を行なうことが政府の役割であることを改めて強調して講演を終えました。

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